如何にも困ったことがある。

 

 

 

「ちーちゃん、あのね」

 

 

 

つぶらな瞳がじーっとこちらを見つめている。

 

 

 

「何でしょうか、ホワイト様?」

 

 

 

出来得る限り逸らし目で応じるのだが、効果は薄いと見えて少女の窺うような視線が目の端をちらついた。

 

 

 

「これ、買っても良い?」

 

 

 

少女の手には甘い大粒のチョコレートが詰まった小箱。

 

騒々しいデパートメントの食糧売り場にて、我(わたし)は小さく溜め息をついた。

 

 

 

「いけません」

 

 

 

咎めるような目で彼女を見下ろせば、少女は子供のように口を尖らせて食い下がった。

 

 

 

「ね、ひとつだけ。お願い」

 

 

「いけません、元の場所に返してらっしゃい」

 

 

 

可愛らしいそれにほだされぬよう、有無を言わさぬ口調で言えば、我の小さな主人はうるっと薄青い瞳を潤ませた。

 

 

 

「……ちーちゃんのけちんぼ」

 

 

 

彼女が持つボキャブラリーの中から懸命に選んだであろう精一杯の文句に思わず笑みを溢しそうになり、慌てて頬を引き締めた。

 

 

 

「夕食前にお食べになるのは良くありません。黒龍神様に叱られてしまいます」

 

 

 

涼しい顔で買い物籠を乗せたカートを押しながら言えば、その後ろからとことことついてくる少女が小箱を掲げて懸命に言い募った。

 

 

 

「絶対ご飯の前に食べたりしないって約束するから! ああっ!?」

 

 

 

ひょいと彼女の手に握られたそれを没収すれば、少女は情けない声をあげた。

が、そのままそれを仲間達の待つ棚へ並べてやり、代わりに夕食用の調味料を籠に放り込んだ。

 

 

 

「ホワイト様、そちらの野菜をお選びください。スープに入れましょう」

 

 

 

野菜売り場を指し示すと、彼女はすごすごとそちらの方へ消えていった。

 

やれやれ。

 

一難去ったことにほっと息をつき買い物を再開するのだが、鮮魚が並ぶ区画に差し掛かり、しばらくしてふと買い物籠に目を遣ると、何故かあの可愛らしい小箱が我を見上げている。

 

 

 

「……」

 

 

 

数秒間停止して考えた後、カートを引いて所定の棚に舞い戻り、それをきちんと返した。

 

……これで良し。

 

ひとつ頷き、すたすたとカートを押して肉の区画へ。

しかし、厳選した肉を買い物籠に入れようとしたところで、再度我は眉を顰めることとなる。

 

 

 

「……」

 

 

 

本日三度目の再会である。

 

可愛らしい色合いの小箱が、まるで其処にいるのが当たり前かのようにこちらを見上げていた。

 

くるりと後ろの金髪の少女を見遣ると、ふらふらふらぁ〜とあらぬ方へ目線を泳がせる彼女がいる。

 

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

「……。……ホワイト様」

 

 

「な、……なあに、ちーちゃん?」

 

 

 

空っ惚ける十五歳の彼女に溜め息をつき、カートの買い物籠からチョコレートの小箱を摘まみ上げた。

 

 

 

「これは、一体、何でしょう??」

 

 

 

句読点を強調して、ゆっくりと、発音良く問うと、少女はみるみるうちに縮こまった。

まるで猫を前にしたヒメネズミのように、びくびくとこちらを上目で窺い、彼女は教えてくれる。

 

 

 

「えっと、それはチョコレートっていう、カカオマス、砂糖、ココアバターを混ぜて作ったお菓子よ、ちーちゃん。とっても甘くて、美味しいの」

 

 

「ええ、その通りです。ホワイト様は博識でらっしゃいますね」

 

 

 

首を傾げて言えば、いよいよ少女はダラダラと冷や汗をかき始めた。

 

気づかぬ振りをして、冷静な声で尋ねた。

 

 

 

「それで、何故棚に返したはずの洋菓子が、籠の中に入っているのでしょうか?」

 

 

 

ラビエール・ホワイトという少女は徐々に顔を赤らめながらもごもごと言った。

 

 

 

「ええ、ちーちゃん。とても良い質問だわ。私も全くもって不思議に思うのよ。でも、チョコレートさんがきっと買ってほしくてついて来ちゃったんだと思うわ」

 

 

 

我とその手に握られた小箱を交互に見る彼女の見解に、沈黙の後、我は冷徹な事実を伝えた。

 

 

 

「出掛ける前、黒龍神様に『ラビエールを甘やかなさないように』ときつく仰せつかっております故、チョコレートさんには諦めてもらう他ありません」

 

 

 

少女は捨てられた子犬のような目でこちらを見て言う。

 

 

 

「チョコレートさんが悲しがっても?」

 

 

「チョコレートさんが悲しがっても、です」

 

 

「チョコレートさんが売れ残って泣いてしまっても?」

 

 

「チョコレートさんが売れ残って泣いてしまっても、です。とても不憫に思いますが、おわかりくださいますね?」

 

 

「……はい」

 

 

 

しょんぼりと肩を落として、少女は素直に小箱を元の棚に戻した。

 

その小さな背中をしばし眺めた後、口を開く。

 

 

 

「ホワイト様」

 

 

 

きょとんとこちらを振り向いた少女は、不思議そうな表情を浮かべ、応じた。

 

 

 

「なあに、ちーちゃん?」

 

 

「会計を済ませて参りますので、あちらでお待ちくださいませ」

 

 

 

示す先には、店の向かい側に存在する真新しい本が並ぶ本屋。

 

少女の目が輝いた。

 

 

 

「うんっ!」

 

 

 

ぱたぱたと元気良く駆けていく読書好きな彼女はきっと、大好きな本達の表紙を眺め、我が迎えに行くまでの短い時間に目にする文章を楽しむことだろう。

本屋へ急ぐ様子は、時間に追い回される白兎か、はたまたお茶会へ遅刻しそうな迷子アリスのようだった。

 

頭の中で黒髪の彼が口酸っぱく繰り返した言葉をもう一度反復し、揺れる天秤の両端の重さを測り直す。

答えは自ずと知れた。

 

傾く皿の音を聞く。

 

 

 

「……さて」

 

 

 

揺れる金色の光を見送った後、がらがらとカートを引いてレジスター……の前に寄り道をして。

とある棚の前で立ち止まり、今ではもう見慣れてしまったそれを。

 

可愛い彼女が欲しがっていた、カカオマスと砂糖とココアバターを混ぜて作った甘い甘い洋菓子の小箱を手に取り、買い物籠の中に静かに置いた。

 

 

 

「おっと……手が滑りました」

 

 

 

呟き、ほんのりと笑む。

見下ろす先の小箱は、心なしか嬉しそうに我を眺めていた。

 

 

 

「まあ、黒龍神様には、勝手について来てしまいましたということで」

 

 

 

静かに独り言ち、素知らぬ顔で、賑やかなレジスターへと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

ショコラパピーの大失敗

 

(えっ、あれっ?)

(如何かなさいましたか、ホワイト様)

(あのっちーちゃん、如何して、これ……)

(……はて、何のことやら。我は何も存じ上げません)