「麻桐」
静かな部屋によく通る声。
「何ですか、イーヴィル」
声を掛けられた相手は応答した。
イーヴィルと呼ばれた男は、ふっと煙を吐き出す。
微かな紫煙の香りが立ち込めた。
そのまま言葉を紡ぎ出すかと思いきや、彼はゆっくりと上司の膝の上で目を閉じている少女に視線を移す。
微かに彼の目が揺らいだ。
そんな様子に、麻桐は苦笑した。
「安心なさい。眠り鼠(ヤマネ)のようにぐっすりと眠ってますから。……つまり、ラビについて何か話があるわけですね」
イーヴィルは肯定の意で微かに頷き、煙草を灰皿に押しつけた。
「今日、客が来た。女だ」
「ほう?」
麻桐はすぅと目を細めた。
「それで?」
続きを促す上司に、イーヴィルは肩を竦めた。
「おいおい、ラビの前で客をもてなすとでも? ……とっちめても良かったが、撒いたよ。ありゃ同業者マフィアじゃねえな。軍人だ」
「それはまた物騒なことで」
くすりと麻桐は笑った。無論、彼の目は笑っていない。
イーヴィルは、すやすやと眠る少女を見て言う。
「そろそろ『このまま』っていうのも無理になってきた、ってことか」
それは独白だったのかもしれない。
出会うはずのない唯の一般人と行動を共にして約一年。
彼にも思うところがあるのだろう。
彼は溜め息混じりに上司に言った。
「なぁ、麻桐。こいつは一体何なんだよ」
焦燥とも諦めともつかぬものを滲ませる彼に、彼の上司は言う。
「同じ質問を一年前にもしましたねぇ、貴方は」
何度聞いても変わりませんよ、と麻桐は笑った。
ちょうど、ラビという少女がうーんと唸って、もぞもぞと身じろぎをした。
が、起きる気配もなく身体を丸めて、再びすやすやと寝息を立てる。
麻桐は相手の金髪に首を預けて、部下に笑いかけた。
「彼女はラビエール・ホワイト。世界支配者(ワールド・ロード)の成り損ないですよ」
翼の無い天使
(救世主おろか破壊神にすらなれなかった者)
(人はそれを一般人と呼ぶ)