外の騒がしさにはっとした。
窓を窺い見れば、有り得ないような数の軍人が、この屋敷を取り巻いている。
視線を戻し、男を抱き締めている少女に怒鳴った。
「来いっ!」
びくんと体を震わせて、少女はさらに黒髪の男を引き寄せる。
先程の静かな魔法が解けてしまったかのように、少女の瞳の中に恐怖が弾けた。
「い、…いやっ……」
少女は男の肩に自分の顔をつけて、嫌々をする。
俺は窓を一瞥してから一歩、少女に近づいた。
「説明してる時間がねぇんだよ、大人しく言うことを聞け」
焦っていた。
俺の立場もそうだが、先程の男の反応から察するに、この少女にとっても軍人は不味いだろう。
少女は悲鳴のように言葉を吐き出した。
「駄目…黒龍神を置いてなんていけないッ……!」
ぼろぼろと零れ落ちる涙は俺に対しての恐怖でなく、この死体を置き去りにすることへの恐怖から来るものだと知った。
俺はぐうと詰まる。
少女は肩を震わせながら、言った。
「置いていけないよ…、誰か助けて……かみさまぁ…」
少女の言葉が胸に突き刺さった。
軍靴特有の厳つい音が響いている。
階段をのぼって、こちらに近づいてきているようだ。
俺は少女の目線に合わせるように、床に片膝をついた。
これ以上怯えさせないよう、低い声で囁く。
「そいつに託されたものがある。そいつが望んだのは、てめぇが此処に居続けることじゃない」
俺は男が遺した言葉を告げた。
少女の瞳が大きく見開かれ、僅かに彼女の手が死体から緩むのがわかった。
その瞬間を見計らって、俺は少女の首筋に手刀を叩きこんで意識を奪う。
倒れこんできた少女を担いで、俺は走った。
もう靴音は扉の前まで迫っていた。
自分がずるい人間であることくらいはわかっていた。
それでも少女を死体から引き離す必要があったから、そうしたのだ。
恨まれても良いとこの時、何故か思えた。
黒龍神という男を見たのは、あれが最後だった。
「止まれ。もう逃げ場はない」
かちりという銃の音に、俺は振り向くことなく左手を上に上げ、戦意がないことを示した。
右手は如何した、と言われれば、そりゃ少女を担いでいるに決まっている。
ぐったりとした金髪の少女は、思いのほか軽かった。
「その銃をこちらに寄越せ」
背後にいた軍人のひとりが言った。
俺は眼前の線路を見下ろした。
このまま飛び降りたら、骨折する高さだな。
「早くしろ!」
怒鳴られて、ゆっくりと相手を振り返った。
四メートル先は、既に何人もの軍人に固められてしまっている。
俺はホルダーから銃を抜いて石畳の上に置くと、相手の方へ蹴ってやった。
石畳の上をくるくると滑って、銃は俺の視界から消えた。
ぴたりと銃を俺に向けたまま、軍人は言う。
「…その娘を渡せ」
「はっ」
俺は乾いた声を漏らした。
ちらりと軍人達が目線を交わし合う。
なので、肩を竦めて言ってやった。
「この場で、こいつごと俺を撃ち殺したらどうだ? その方が手早く済むだろ、…………なあ、軍人さんよ」
ぎり、と相手が歯を食い縛って顔を歪めた。
「馬鹿な真似はよせ。その娘を置いて失せろ。そうすれば見逃してやるぞ」
ほう、と俺は少女を横目で見た。
これでこいつがどんな価値の人間なのかがよくわかった。
此処まで軍人を集め、その姿を見た俺を見逃すとまで言う。
それほどまでに、こいつに生きててもらわねばならないと、軍人達はそう言っているのだ。
俺は線路を一瞥する。
あと少し、時間が欲しい。
「生憎だが答えはノーだ」
俺の声に、軍人達の間で緊張が高まったようだ。
俺はとびきりの悪人面を浮かべてやる。
「なあ、こいつは一体何者なんだ? 唯の子供ガキにしか見えねえぞ?」
「ッ貴様」
「やめろ! あの小娘に当たる……」
俺を撃とうとするひとりを他の軍人が止める。
近づこうとする軍人共を見、俺は一歩下がって声を張り上げた。
「おい、こいつを此処から落とすぞ? 良いのか??」
ひゅううと風が下から吹き上げて、担いでいる少女の金髪を揺らした。
たじたじと軍人達は退く。
踏切の音がする。
相手を睨みつける俺の頬を、少女の長い金髪がくすぐった。
宵闇を切り裂くように、轟音が近づいてくる。
はっとしたように、軍人達が騒めいた。
「まさか…」
「おい、小娘に当たっても構わん! そいつを止めろ!!」
ほとばしる閃光と銃声を避けるように俺は宙を舞って、そして落下した。
きつく抱き締めた少女は、身を切るような風の中で唯一確かな存在だった。
着地した貨物列車は闇を疾走する化物のようにスピードを上げ、俺達を連れていく。
軍人達の手の届かないような、遥か先へと。
逃走劇
(恐らく俺は悪役だな)
(だとしてこいつは何者だろう……?)
(こいつが誰だか、さっぱりわからない)