気が気じゃないのか、ラビエールはあわあわとする。
「どっ、どどど如何しましょう! もし…もし、麻桐さんがお化けに……」
イーヴィルはがぷりとポテトに齧りつく。
「いっそ食われちまった方が良いぜ、あのドS上司」
「あう、イーヴィルさんんんん」
余程怪奇現象が苦手なのか、はたまたイリスや夢憑ムツキと一緒に見た昨日のホラー番組が怖過ぎたのか、ラビは半べそである。
イーヴィルは溜め息をついてテーブルを示した。
「とりあえず落ち着けよ。何か摘まんでりゃあ、そのうち麻桐も戻ってくんだろ」
彼の言葉にラビはこっくりと頷いた。
「お、お水いただきます!」
彼の前のボトルのラベルを見遣り、少女は近くにあったグラスを一気に煽った。
ごくんと喉が鳴って、すぐにグラスは空っぽになる。
「んあ? ……おい、ラビ…」
ちょうど甘菓子を摘まんでいたイーヴィルの頭にいやぁ~な予感が駆けた。
ほぼ、本能レベルと言ってもいい。
走らせた目に映るのはふたつのボトルとふたつのグラス。
ひとつは水で、もうひとつは……。
たんッと凄い音を立てて、少女の手がグラスをテーブルに置いた。
俯いたままフリーズしたラビの表情は、ふたつに束ねた長い金髪に隠れて窺い知れない。
彼の顔から、ゆっくりと血の気が引いていった。
「ら、ラビエール??」
声を掛けながら、彼はもうひとつのグラスを引き寄せて軽く手で扇いだ。
金髪の少女が手をつけなかった方のグラスだ。
明らかに無臭である。
とすれば、この少女がそれはそれは勢い良く煽ったあれは。
がばっと顔を上げた先に少女の顔があって、イーヴィルは思わず仰け反った。
近い。
とても近い。
目の前の少女が大きな瞳を潤ませて言った。
「いーゔぃるさん」
ふわりと吐き出された言葉に酒気を感じ取った。
イーヴィルはじりじりとソファを後ずさる。
その顔でひくりと引き攣ったように口角が上がるのが見て取れた。
「ラビエールてめぇ……あの量の日本酒を、あんな勢いで…」
イーヴィルが冷や汗をかく中、ふわふわした声が社長室に響いた。
「あぁれ? お菓子あるぅ。うふふ~☆」
少女はと言うと、テーブル上の軽食を見てふにゃあ~っと笑っていた。
既に彼は興味対象外のようだ。
伸ばした彼女の手がイオン水のボトルを倒し、中身がテーブルにぶちまけられる。
イーヴィルは我に返って、慌てたように少女の手を掴んだ。
「おいおいおい! まっ、待て! 座ってろてめぇは!」
ボトルを彼が起こせば、ラビは不機嫌になって頬を膨らませた。
「ぶぅーッ、けち! イーヴィルしゃんイジワルだ。わたしはぁ、お菓子がたべたいのれす!」
「おまえなぁ……」
イーヴィルが心底困ったように頭をかいていると、不意にスイッチが切れたように少女ががくんと膝立ちのままソファに倒れ込んだ。
ぐったりとした相手に、彼は飛び上がる。
「なッ、おい! ラビ??」
唐突なことに困惑しつつ、彼はラビの肩を掴んで引き起こした。
全くの無抵抗で、少女の首がふらふらと揺れる。
じわじわと彼の表情に焦りが浮かんだ。
彼女は未成年である。
加えて、彼女は今まで一口たりとも酒と呼ばれる物質を口にしたことがない。
当たり前だ。
ラビエール・ホワイトは健全で優良な子供なのだから。
そんな彼女がよりにもよって高アルコール度数の日本酒を一気飲みなんてしたら……。
イーヴィルは声を張った。
「ラビ! しっかりしろ、おい! ラビエー…んうっ!!??」
イーヴィルの声が唐突にかき消された。
心配して覗き込んだ途端に、少女が起きた。
とろんとした瞳のまま、少女が何の前フリも無しにイーヴィルの口を自身の唇で塞いでしまったのだ。
彼の頭の中が真っ白になる。
気づけばイーヴィルは矮躯なはずの少女に押し倒されていた。
吹けば飛びそうな普段からは、まるで想像もできない。
彼の背中の下で、ソファがぎしりと鳴った。
ラビはイーヴィルの腹の上に乗っかったまま彼に口づけている。
角度を何度も変える深いキスに、イーヴィルの手がびくびくと反応した。
「んっ…んんラビ……ちょっ…ぷはっ」
如何にか少女の双肩を掴んで引き離せば、ラビはほんのりと頬を染めたまま甘えた声で言った。
「イヴィしゃん、すき」
「っ!!!!????」
どくんと心臓が跳ねた。
こんなこと普段言わせようものなら、ラビエールは恥ずかしさで爆死するはずである。
ところが今の彼女は潤んだ瞳を細めて無邪気に笑っているのだ。
ラビはころっと微笑んだ。
「だーいしゅきーい!」
回らない口調と裏腹に、自分の桜色の唇をペロリと舐めるラビは妖艶だった。
彼は声も出せずにぱくぱくと口を動かす。
(こ、れは……不味い。とても不味い…)
彼の手がラビの肩で緩んだ。
抵抗する力が殺されていく。
(とても抵抗できそうにねえんだが…)
意外過ぎる攻撃に目眩を覚えた。
イーヴィルがそんなことを考えているうちに、少女の小さな手がするりと彼の頬を撫でた。
「ん~?? イーヴィルしゃんまっかっか。へんなの、あはっ」
腹の上で笑う彼女を見上げ、イーヴィルは疲れたように呻いた。
「誰の所為だと思ってんだ」
途端にラビは眉尻を下げ、じわじわと目に何かを溜め始めた。
「おこらりた……うえぇっ、ふえええ…」
「だーッ! 泣くな! 怒ってねェッ!」
「ホントに…?」
ぐすぐすと鼻をすすりながら、ラビはイーヴィルを見つめる。
その様子はまるで幼い子供のようだった。
イーヴィルはあちこちに目を泳がせた後、熱い顔を右腕で覆って言った。
「…本当だ」
……。
…………………。
……………静かになった。
恐る恐る顔から腕を退かした彼の前には、彼の腹に乗っかったまま彼の顔を凝視する少女がいた。
その表情は素面のようで、イーヴィルはどきりとする。
「ラビエール??」
声を掛ければ、ラビははあと息をついた。
悩ましげだった。
「わかんない…」
ラビは長い睫毛を伏せたまま、イーヴィルの耳元に口を寄せた。
「わかんないです、あなたが」
「俺にはテメェがわからねェよ」
しどろもどろで男が突っ込んだ。
ラビは彼に構うことなく甘い声で囁いた。
「知りたいな」
「~~っ!?」
「如何したら、イーヴィルさんの気持ち、わかるのかな…??」
「っ…あ」
かぷりと音がして、彼の身体が跳ねた。
微かな痛みともつかぬ感覚に、イーヴィルは短く声を漏らした。
ラビは男の耳から唇を離して、ちゅ、とその首に口づける。
その間、ラビの手が彼のシャツの第二ボタンを器用に外していった。
イーヴィルは荒い息のまま、自分の首に顔を埋める相手を横目で見て思った。
(何処でこんなこと覚えやがったんだコイツ――――!!!???)
麻桐か!? などと嫌な予感が彼の頭を駆けた。
(そうじゃなきゃいい…)
切に願うことだった。
「う……ラビっ…ちょっと待て……うあぁ!」
ざりっと鎖骨を通っていく温かさに我慢できず声をあげると、ラビエールの手が彼の手にするりと絡んだ。
イーヴィルが思わずその手を握り締めれば、彼女はとろんとした顔のまま彼の紅い瞳を覗き込んだ。
「…あつい」
「…っはあ…はあ……何??」
彼が見つめる先の彼女は無表情である。
「うー、あつい」
ぷちんと。
彼女はぼーっとしたまま、片手でブラウスのボタンを外した。
ちらりと彼女のブラウスの中身が垣間見えた。
今度こそイーヴィルの顔から残らず余裕が消えた。
「バッ…!? 脱ぐなバカッ!」
「あーつーいー」
両腕を押さえられて、ラビエールは駄々っ子のように嫌々した。
が、イーヴィルは必死である。
「それだけはやめろ! 本当にやめろ! 俺を何だと思ってんだ! っあ~~~~も~~~麻桐ィ、早く戻ってこい!」
彼の悲鳴にも近い声が社長室に木霊した。
これほどゆるゆるとしたご褒美をちらつかされた後に脱がれてしまったら、たぶん理性が保たない。
酒の力ゆえか予想以上の強い抵抗に彼は冷や汗をかいた。
体勢も悪い。
彼女は今彼の上に乗っかっているのだから押さえ込むのは至難の技だった。
数分間の無言の攻防の後、彼の手が緩みそうになった時だった。
ぴくんと少女の肩が揺れてふらついた。
最初同様スイッチが切れるように、呆気無いほど簡単に、ラビエールはどさりとイーヴィルの胸に倒れて動かなくなった。
「!?」
すうすうという微かな音を聞き取って、イーヴィルは僅かに身を起こす。
胸の上の彼女は大人しかった。
金髪がさらさらと流れるのが見える。
よくよく見れば天使のような顔で寝ているではないか。
イーヴィルは悪夢でも見たような気持ちで目を泳がせ、再び力無くソファに倒れ込んだ。
先程の彼女の行動は、もはや悪魔的だったとしか言いようがない。
「勘弁してくれよ」
胸の上の重みを感じながら、彼は呟く。
彼は誓った。
ラビエールに酒を飲ますのだけはやめよう、と。
お騒がせ姫
(麻桐にこの状況を如何説明しよう……)
(自分と少女の格好を見て、頭を抱えた)