とくとくと透明な液体がグラスに注がれた。
カラン、と浮かんだ氷が涼しげな音を立てる。
それを煽って、緑髪の男はパソコン画面を凝視した。
彼の赤縁眼鏡にパソコンの光が映り込んでいる。
口角を上げ、麻桐がマウスをカチカチと鳴らしたところで扉が開いて、部下が入ってきた。
イーヴィルが言った。
「手酌かよ。珍しいな、こんな時間に酒なんて」
イーヴィルがソファに腰を下ろすと、麻桐はニコニコした。
「おやイーヴィル、御機嫌よう。ちょっとした祝賀ですよ」
「ああ、ラビがパーティーで取ってきた奴か」
納得したようにイーヴィルが言うと、彼の上司はグラスを持ち上げてみせた。
「まさか彼女がたったの一分で、あのデータベースに侵入するとは思いませんでした。上々も上々、ですよ。世界支配者(ワールド・ロード)とはよく言ったものです。僕のところの参謀君達が聞いたら、歯噛みするでしょうね。ふふふ」
上機嫌でそんなことを言って、麻桐は酒を口に含んだ。
イーヴィルは自分の前にグラスとボトルを置きながら、上司の机にあるボトルを見遣る。
彼は呟いた。
「日本酒(ジャパン)か」
「最近ハマりましてね。そう言うイーヴィルは??」
「唯のイオン水だ。酒なわけねーだろ」
「日本酒、一口如何です?」
悪戯っぽく勧める麻桐に、イーヴィルはうえ、という顔をした。
「馬鹿言うなよ麻桐。辛ぇし苦ぇし、何処が良いんだそんなもん。つうかアルコール度数半端ねぇだろ、それ」
舐めるように飲み干して、麻桐はグラスとボトルを手に彼の前のソファへ移動した。
「お子ちゃまですねぇ、貴方は」
麻桐は言う。
「うっせ。香りだけで酔いそうだ」
イーヴィルは応じる。
ことりとそれらを置く麻桐を睨み、イーヴィルは水を煽った。
麻桐は軽食をテーブルに広げて、手酌で酒を注いだ。
「ま、簡単ですが充分豪華な祝いじゃないですか。これでお酌をしてくれる可愛い部下がいれば完璧なんですがね」
イーヴィルは勝手にクラッカーを摘まんで、水をグラスに注いだ。
「俺見て言うなよ。ラビでも呼べ」
「あ、その手がありましたねぇ…」
イーヴィルが軽く突き出したグラスに、麻桐は自分のグラスを打ちつけて笑った。
軽く響く、小気味良い音。
彼らが各々のグラスを口にしかけたところで、ぱたぱたと廊下を走る音が近づいてきて、ばーんと扉が開いた。
静かな夜をふっ飛ばしたのは金髪の少女である。
「如何したんです、ラビ??」
すっ飛んで抱きついてきた少女を見下ろして、麻桐は目をぱちくりする。
彼の手が無造作にグラスをテーブルに置いた。
「おっ、おお、お……」
真っ青な顔でラビエールはぱくぱくと口を動かして廊下を指差す。
奇怪な彼女の行動に、イーヴィルも腰を浮かせてグラスをテーブルに置いた。
「何かあったのか?」
ふたりの前で、少女はやっと声をあげた。
「おっ、お化けです――――ッ!」
「「は??」」
ふたりの男の声がハモる。
ラビは廊下を指差したまま、必死な形相で訴えた。
「だって、だってだって白い影が足元を通ってったんですよう! 嘘じゃないです本当です信じてください麻桐さんッ!」
怯えるラビを尻目にイーヴィルはむこうを向いて肩を震わせている。
麻桐も麻桐で、微かに「ふっ」と噴き出したものの、如何にかこうにか真面目な顔を取り繕った。
麻桐は聞き返した。
「お化け、ですか?」
「はいッ!」
ふるふると身を震わせて、ラビは一生懸命に説明をする。
その様子はさながら、可愛らしい小動物のようだ。
「こんくらいの大きさで、とっても速くて、…目が光ってて……あううううう!」
怖がる少女の向こう側で、イーヴィルが「ぶはッ…くっくっく」と口を押さえている。
無論むこうを向いているので、ラビには全く見えていないが。
麻桐がちらとイーヴィルを一瞥した。
その顔に、僕も笑いたいのに人を差し置いて笑ってんじゃねぇよ、と書いてあった。
彼は再びラビエールに視線を戻してにっこりした。
笑いを必死に堪えているその表情は、幾分苦しそうだった。
「それはいけませんねぇ。では、僕がちゃんと退治してきましょう」
麻桐の言葉にラビは「えっ」と驚き、みるみるうちに青褪めた。
「だっ駄目! 食べられちゃいますよう!? 麻桐さんがお化けに食べられちゃったらイヤですッ! やだやだやだ!」
これでもかと言うほどの勢いで、ラビは麻桐の腰にぎゅううと抱きついた。
柔らかいラビを抱き締め返し、麻桐はあはは―と笑う。
「ラビは怖がり屋さんですねぇ。大丈夫ですよぉ。僕、猫嫌いじゃないので」
さらっとそんなことを言うのだが、怯えた少女はお化けの正体など聞いていない。
見れば、イーヴィルがすうと眉間に皺を寄せていた。
何処か不機嫌そうだ。
「…麻桐、そろそろ離れたらどうだ? 猫(お化け)、捕まえに行くんだろ??」
麻桐は依然としてラビを抱き込んだまま、イーヴィルに笑いかけた。
「可愛いこと言いますよね、ラビは。僕がミーに食べられちゃうんだそうですよぉ?」
ミーとは三日前に人から預かった白いチンチラ猫である。
如何やら今朝、檻を壊して逃げたらしい。
ゆっくりとラビエールの頭を撫で出す上司に、イーヴィルの眉間の皺がさらに深くなった。
紅い左目に眼光を宿らせて、彼は言う。
「ちょ、おま……聞いてんのか麻桐。そのお化けとやらがどっか行ったら、あの土地シマ交渉パァになんぜ??」
「はいはい、わかりました。ラビから離れます」
名残惜しそうに少女を離して、麻桐はさっさと立ち上がった。
ひらひらと手を振って、麻桐は嫌味な笑みを部下の男に向けた。
「では、猫お化けを捕まえてきます。『お子様達』はお留守番、ってコトで」
ぶっすーとテーブルに頬杖をつくイーヴィルが睨む中、扉が静かに閉まった。