ぴりりりと呼び出し音が部屋に響いた。
目を閉じていた男は少女の金髪に頭を預けたまま、タキシードのポケットを探る。
すう、と開いた彼の瞳は、少女が纏うドレスのような色だった。
「麻桐か?」
電話口で相手に声を掛ければ、向こうで人の騒めきが聞こえた。
“イーヴィル、ラビを見ませんでしたか? ”
麻桐の声に、イーヴィルはちらと自分にもたれかかっている少女を見遣った。
「……一緒だが」
“ちょうど良いですねぇ。パーティーおあそびは終わりです。そろそろお仕事へ移りましょうか ”
イーヴィルは首を傾げ、電話に耳を押し当てた。
「ハァ?? 仕事だと? ………あ~、成程な。何かあると思ったぜ、てめぇがこいつをわざわざ連れて来たの」
彼は眠るラビエールの金髪を指で梳きながら続けた。
「で? こいつを何処に連れて行きゃ良いんだ?」
“話が早いですね ”
麻桐が満足気に言った。
恐らく電話の向こう側では微笑しているはずだ、とイーヴィルは思った。
麻桐は説明を始める。
“彼女を二階の一番奥の空き部屋へ。鍵はさっき開けときました。人は来ないはずです。念のため、作業中は鍵をかけてくださいね ”
「作業、ね…」
イーヴィルは胡散臭そうに呟いた後、ラビを見つめる。
麻桐がグラスを置いたのか、ことりと音がした。
“ラビに伝えてください。この前読めなかった物語の続き・・・・・を此処では読めますよ、と。貴方は彼女が読み終わったら、中身をメモリに移しといてください。出来れば15分ほどでお願いしますね。…ま、彼女に言えば其処ら辺、わかりますんで ”
「俺にはまるでテメェらの会話内容が見えねェ」
“この前、パーティーここの主催者をラビに調べてもらったのですよ、イーヴィル。ところがラビが言うに、『物語がブツ切りで、読めたものじゃない』と ”
「あ?」
“無理にネットワークの奥まで開いてもらったんですけれど、大したことは載っていなくてですねぇ。……如何やら独自の回線と一般回線を分けているみたいなんですよ。会社の独自回線に外部から侵入しようとすると、骨が折れます。よって現地で、直接作業をおこなった方が良いと判断しました ”
わかり易い説明に、イーヴィルは「ふむ」と頷いた。
「理解した。ところで、メモリはてめぇが持ってんのか麻桐? さっき、入り口の検査で引っ掛からなかったが…」
電話の向こうで麻桐がことことと笑った。
“いえ、僕でなくラビが持ってます ”
イーヴィルはまじまじと少女の顔を見た。
「ラビが?? ……手ぶらに見えるが??」
“彼女のコルセットの中に、ポケコンとメモリが入ってますんで ”
「なんつうとこに入れてんだよテメェ」
彼は呆れ顔で上司に突っ込んだ。
それで、軽い身体検査でバレなかったわけだ。
いたいけな少女をべたべたと触ったら、少女の前にそいつが捕まるだろうと彼は思う。
また、ラビにコルセットを巻く際に麻桐が苦労していたのも我点がいった。
最初からこの男が全ての要因ファクターを握っていたのである。
半ば感嘆したような溜め息をつくイーヴィルに、麻桐は忠告した。
“取り出す時、変な気起こさないでくださいね♡ ”
「起こすかッッッ!!!」
思わず叫ぶ電話口で、彼の上司は上品に笑って「健闘を祈ってますよ、イーヴィル」などと言った。
ぷつりと電話が切れる。
つくづく彼、イーヴィル・B・レインは苦労人である。
げんなりとしながら電話を仕舞い、彼は抱いていたラビの肩からそっと手を離した。
そろりと少女の背へと手を伸ばして、指でコルセットをなぞる。
ラビはすやすやと寝息を立てている。
起きる様子はない。
「……疚しい気持ちはねえからな…」
一応、彼は少女に向かってそう呟いた。
無論、彼女には全く聞こえていないだろうが。
はあ、と盛大に息をついて、イーヴィルはラビエールの背中についた紅いリボンをしゅるりと解いた。
彼が肩から手を離したことで、ラビはこてんと横に転がる。
まるで膝枕をしているような状態になったが、その方がドレスの紐を緩め易かった。
彼は、少女の腰に入った板を手でまさぐる。
中に入っていたポケコンとメモリを取り出せば、ラビは目を閉じたまま、微かに眉を顰めた。
「う…ん……」
彼女の小さな声に、彼はびくうっと肩を跳ね上げる。
今、彼女が目を覚ませば確実に不味いことになるだろう。
そんなことくらい、成人した彼には容易に想像できた。
恐らく二の句が継げないうちに、四の五の言わず生物学的にも社会学的にも抹消されるだろう。
だらだらと彼が冷や汗をかきながら固まる中、もそもそと体を丸めた少女は再び幸せそうに彼の膝に頬を擦り寄せて眠り始めた。
彼女の桜色の唇から、寝息が洩れる。
「すぴー…」
「あ、さ、ぎ、りィ~~~~……」
イーヴィルは顔を引き攣らせながら、呪詛のように小声で問題上司の名を呼んだ。
彼の顔にはありありと、なんつうとこに入れてんだよマジでと書いてあった。
さて、取り出したそれらをぽいとベッドの上に放って、イーヴィルは丁寧にドレスの紐を編み上げ直した。
目の毒になりそうな少女の白い肩が紅いドレスに隠れていく。
最後にリボンを蝶々結びにすれば、ささやかな犯罪未遂は闇へと葬られた。
「んんっ……イーヴィルさん…??」
直後とろんとした薄青い瞳が開いて、弾かれたように彼はぱっと手を離した。
「どっ、如何したラビ?」
若干上擦った声で尋ねると、少女はふわっと欠伸をした。
「んぅ…いいえぇ。……何かくすぐったかったような…そうでもないような……うう」
ラビは眠そうにごしごしと目をこすってボーっとする。
寝惚けているようだった。
彼は目を泳がせた。
「へ、へえ。気の所為じゃ、ねぇの…?」
「そうですねぇ~…。ううう……私、どれくらい寝てましぅわわあああああ!!??」
急に大声をあげて、金髪の少女は飛び起きた。
完全に覚醒したのか、みるみるうちに頬を上気させて慌てふためく。
何事かと目を丸くするイーヴィルの前で、彼女は自分の髪や頬に触れながら恥ずかしそうに言った。
「やっ、やだ私ったら! すみませんすみません、本当にすみませんっ! 膝、重かったですよね!? つい気が抜けちゃって、…」
如何やら、膝枕をされていたことに対して反応したようだ。
ラビエールは林檎のように真っ赤になって彼に向かって謝り倒した。
本当のことを言えば、膝枕よりもっと危ないことをされていたのだがこの少女、夢の中にいたため何もわかっていない。
そんな相手の様子に、イーヴィルの目がどんよりとした。
彼の表情から、年頃娘の鈍感さに嘆く親心と、先程の犯罪スレスレの行為への罪悪感が窺えた。
彼は歯切れも悪く、おたおたする少女をなだめた。
「あ~っと、その……何だ、…気にすんなラビエール。てめぇは何も悪くない。それより少し手伝ってほしいんだが」
「へ?」
ぴたりと動きを止めて、少女は不思議そうに首を傾げる。長い金髪がさらさらと流れた。
イーヴィルはポケコンとメモリを掴んで、少女の目の前に突き出しながら言った。
仕事だ
(『物語の続き』を用意したってよ)
(言った途端に変わる相手の目の色に驚いた)