会場の人の多さに目眩がした。
車内でも思ったが、そう、私はやはり場違いだ。
むしろ気違いな気さえする。
色とりどりのドレスや黒のタキシードが行き交っては、目まぐるしく入れ替わる話とシャンパングラス。
思わず隣の長身な男の人の手をきゅうと握り締めると、その灰色髪の男の人は私を見下ろして左目を見開いた。
「如何した?」
聞かれた私は、う、と詰まった。
此処まで来ては、もう車内に戻りたいとも言えない。
代わりに、小さな声で言った。
「本当に人、多いですね…」
白い手袋をした手を口に添えてひそひそと言葉を吐き出せば、イーヴィルさんは若干呆れた顔をした。
「言っただろうが。結構デケェ催しだ、って」
「…そうでしたねぇ」
「ま、そんなに気ィ張るな。でかいが内容は下らねぇパーティーだ」
あっさりと相手はそんなことを言う。
イーヴィルさんにしては、随分と無責任な言葉だ。
不思議に思って見上げると、イーヴィルさんは既に遠くを見ていた。
何だかつまらなそう、……というか、目に映る景色が荒んでいる。
嗚呼そうか、と思った。
彼にとってこのパーティーは、下らないお遊びにでも見えるのだろう。
私は冷たい光を湛えた目で人々を観察している彼の横顔を、唯、黙って眺めた。
髪を軽く束ねて肩に流したイーヴィルさんは、普段とはまるで別人に見えた。
「お飲み物でも?」
ウエイターの男の人が、私に円形のトレーを差し出した。
其処には金色でしゅぱしゅぱと気泡を出す液体が乗っている。
……お酒、かな??
もらうのを躊躇っていると、横から伸びてきた手がグラスをふたつ取った。
麻桐さんだった。
「どうぞ、ラビ」
彼の目が大丈夫だと告げていたので、私ははにかんで笑った。
「ど、どうも麻桐さん」
私がそれを受け取る中、麻桐さんは軽く手を振ってウエイターさんを下がらせた。
思わずホッとする。
麻桐さんはにっこりした。
「楽しんでますか??」
「え? あ、えーと」
ちらとイーヴィルさんを窺った後、私は一生懸命こくこくと頷いた。
それは良かった、と相手は苦笑する。
そしてそのまま私の視線を追って、言った。
「貴方も飲み物でも如何ですか、イーヴィル」
「要らねェよ」
左目をギラつかせて、彼は低い声で応じた。
何故だか、今日のイーヴィルさんはとても不機嫌で…怖い。
殊に、会場に着いてからずっと不機嫌な気がした。
思わずびくりとすると、麻桐さんはグラスの飲み物を一口含んだ後、澄まし顔で言った。
「そうですか。では、軽食でもいただくのがよろしいでしょうね、イーヴィル。ラビエールの分もお願いできますか」
私の名前を聞いた瞬間、我に返るようにイーヴィルさんは息を飲む。
私の方を一瞥して、彼はばつの悪い顔をした。
まるで悪さを見つかった子供のような表情だった。
その紅い瞳に、刃物のような光は見受けられない。
「……取ってくっから、待ってろ」
歯切れ悪くそう言い、イーヴィルさんは通り抜け様に私の頭をぽんぽんと撫でていった。
人混みに紛れていく背中を見送っていると、麻桐さんはこちらを見て微かに笑った。
「あの子、『こういう集まり』が嫌いなんですよ。此処は、人間の欲望や陰謀が渦巻いていますので、ね。普段はついて来ない時の方が多いんですが」
「そうなんですかぁ~…」
私は納得して唸った。
やっぱりイーヴィルさん、こういうパーティー嫌いなんだ。
確かに麻桐さんのお出かけ中、イーヴィルさんはずーっと会社にいた気がした。
麻桐さんが社交に出向いている分だけ、彼が私と過ごす時間は長い。
私はグラスを傾けた後、思い至ることがあって麻桐さんを見上げた。
「あれ?? じゃあ、如何して今日は……」
私が首を傾げれば、相手は私の目を覗き込んでにーっこりした。
「さて、如何してついて来たんですかねぇえ?? 僕にもさっぱりです」
楽しげな麻桐さんは、空になったグラスを通りかかったウエイターさんのトレーに置いた。
何故だか、今日の麻桐さんはとても上機嫌だ。
うーん……私にはイーヴィルさんの心境も、麻桐さんの心境も、よくわからない…。
わからないままこくりと喉を鳴らすと、口の中で飲み物がしゅぱしゅぱと甘く弾けた。
「おお麻桐! 久し振りだな」
黒いタキシードを纏った紳士が、私達を見て取って親しげに両手を広げ、近づいてきた。
麻桐さんの知り合いだろうか。
麻桐さんの表情がビジネススマイルに変わる。
「ご無沙汰してます。そちらの方は、お変わりなく?」
「否、最近は大忙しだ。参った参った……んん? そちらの美しいレディーはどちら様かな??」
急に矛先が私に向いて、心臓がバクバクと音を立てた。
がちがちに緊張する私に構わず、麻桐さんの手が私の肩に回った。
麻桐さんは笑顔だ。
「僕の愛人です♡」
思わず吹いた。
「ちょ、あっ、…麻桐さんッ!」
顔を真っ赤にして、飄々と大嘘をつく仮上司を睨めば、紳士が大声で笑い出した。
「ぶわっはっはっは! 娘、と言わないところがまた、おまえらしいな。そりゃ残念だ。その綺麗なレディーを、私に紹介してくれるかと思ったのに」
麻桐さんは私の前髪に唇をつけて、不敵に微笑む。
「ラビエールと言います。『部下』ですよ、僕の。…でも、貴方みたいな狸オヤジにはあげません」
今度はちゃんと紹介されて、私は慌てて頭を下げた。
紳士は笑い涙を溜めて、楽しげに私を見る。
「初めまして、レディー。そんな腹黒上司を持っては、日々大変だろうね?」
軽口を叩き合うふたりに、私は困ったように笑った。
イエスと言ってもノーと言っても、何だか気不味い気がした。
「え、あ…そんなことは……」
曖昧にそう呟いてたじたじと麻桐さんの後ろへ引くと、麻桐さんはやんわりと言った。
「彼女は恥ずかしがり屋なものですから。許してやってください。……嗚呼、ラビ。グラスが空っぽですねぇ。取ってきては如何です? 向こうの赤いものが良いでしょう」
さりげないフォローに感謝して、私は大きく頷いた。
「はいっ! そうします!」
失礼します、と再び頭を下げて少し離れると、ふたりは何やら難しい話を始めた。
何かの交渉のようだ。
如何やら、私がこの場を離れたがっていたように、麻桐さんもまた私に離れて欲しがっていたらしい。
彼らの言葉は魔法の呪文のように、まるでちんぷんかんぷんだった。
私はそそくさとその場をあとにした。
一刻も早く、この場から逃げ出したい気分だった。