さて、通路を進んでいくと、ベンの背中に追いついた。立ち止まっている。

 

俺は首を傾げた。

 

 

 

「如何したベンジャミン??」

 

 

 

見れば、ベンの向こうに大きな影が見えた。

闇に溶け込むようなその影の正体は、此処からでは窺い知れない。

 

眉を顰めながら、さらに近づいた。

 

目を凝らすと、それは先程のネズミとは比べものにならないほど大きなドブネズミだとわかった。

大ドブネズミの周りには先程のネズミも含め、数十匹ものネズミがひしめき合って騒いでいた。

 

 

 

「オヤビン、大変ですぜ!」

 

 

「白兎ですぜオヤビン!」

 

 

「通行税を踏み倒した上に、こっちに向かって来ますようオヤビン!」

 

 

「何だとぉ? 白兎だァ??」

 

 

 

大ドブネズミが地響きを鳴らして振り返った。

その灰色とも焦げ茶色ともつかぬ巨体には多くの生々しい古傷が刻まれていた。

 

ぴしりぴしりと大ドブネズミの尾が通路の壁を叩く。

尾にはぬらぬらと光る鉤針がついていた。

 

大ドブネズミは俺達を発見すると、右しかない目を細めた。

 

 

 

「わいの縄張りを荒らしとんのは己らか、ああ?」

 

 

 

どすの利いた声でそう言って、大ドブネズミは前歯を剥き出した。

如何やらこいつが親玉らしい。

 

ベンは両手を上げてのほほんと笑う。

 

 

 

「いやだなぁ、そんな物騒な者じゃないってぇ。唯の通行人さ」

 

 

「嘘つけテメェッ! この男が一番物騒ですぜ、オヤビン!」

 

 

 

丸裸にされた一匹が涙声で訴えた。

 

俺はベンに肩を竦める。

 

 

 

「取りつく島もねぇな」

 

 

「ありゃりゃ……」

 

 

 

ベンの表情が苦笑に変わった。

 

グレイがちゃっちゃと大鎌を担いでドブネズミに言った。

 

 

 

「オレ達、此処を通りたいだけなんだガ」

 

 

「通りたいなら、払うもんきっちり払わんかい!」

 

 

 

大ドブネズミは呆れたようにカチカチと歯を打ち合わせた。

 

セピリアは平然と大ドブネズミの前まで歩いてきて、相手を見上げた。

 

 

 

「ぶーッ。だって幾ら何でも一万ピースは高過ぎなんだよ。弱い者苛めはめッでしょお、オヤビンちゃん」

 

 

 

大ドブネズミの前では、セピリアはそれこそ豆粒のようなチビだった。

 

大ドブネズミは怪訝そうにセピリアを見下ろした。

 

 

 

「ああん? 手前が白兎かァ??」

 

 

「そうだよん。ねー、オヤビンちゃん。通行税なら払うんだよ。ひとり千ピースならが僕が払ったげる。だから此処を通してちょーだい?」

 

 

 

ひとり千ピース。

 

千ピースは通常の人間が一年間で使う金額だ。

 

 

それをこいつは払うと言う。

 

 

 

セピリアの言葉に大ドブネズミの目が意地悪く細まった。

 

 

 

「……全然足りねェ」

 

 

「それ以上は払えないんだよ」

 

 

 

セピリアは大真面目にそう言った。

 

不意に大ドブネズミが胸を反らして大笑いした。

周りのドブネズミ達も親玉に倣ってげらげら笑う。

 

大ドブネズミは右目をギラつかせて、セピリアを眺め回した。

 

 

 

「生意気な奴だなァ、嫌いじゃねェーぜ? おい、おめェら煩え!」

 

 

 

大笑いしていたドブネズミ達がぴたりと静かになった。

 

セピリアはするりと刀を抜き放って、とんとんとそれで自分の肩を叩いた。

 

 

 

「ねー、オヤビンちゃん。充分良心的なお値段なんだよ」

 

 

 

きらりきらりと紅い刀に松明の炎が反射した。

 

セピリアは笑った。

 

 

 

「良い子だから、お願いなんだよ、ねっ? ねっ?」

 

 

 

あくまで頼み込む白兎に、大ドブネズミは床を尾で叩いて牙を剥いた。

 

 

 

「払えねェなら、一昨日来やがれってんだ。チビ兎」

 

 

 

ぴくりと。

 

 

刀を握るセピリアの手に力がこもった。

 

 

 

ゆらりとセピリアの影が松明の光に揺らめいた。

 

 

 

 

「…………今、何つった?」

 

 

 

低いセピリアの声に、大ドブネズミはけっと言った。

 

 

 

「一昨日来やがれ、っつったんだよォ」

 

 

「其処じゃないやいッ!」

 

 

 

セピリアが吼えた。

 

その後ろで俺、というかベンもグレイもやれやれと頭を押さえている。

このドブネズミは、セピリアの禁止区域にもろ踏み込んでいた。

 

セピリアは大絶叫と共に刀を振り翳し、地面を蹴っていた。

 

 

 

 

 

僕はチビじゃなぁ―――――いッッッ!!!

 

 

 

 

 

 

セピリアの声が引き金となったかのように、辺りは一気に乱闘と化した。

 

雪崩れ込んでくるドブネズミ達をグレイが鎌で薙ぎ払う。

背後に忍び寄るドブネズミをベンジャミンが暗器で吊るし上げる。

 

俺の弾丸が次々とドブネズミを仕留め、セピリアの進路を開いた。

 

 

 

「ヂュー! 役立たず共め!」

 

 

 

大ドブネズミが悪態をつく中、セピリアの紅い刀が風を切って鳴いた。

金属音と共に、ドブネズミの尾についた鉤針とセピリアの刀が弾き合い、火花を散らせた。

 

 

 

「邪魔だあああ!」

 

 

 

大ドブネズミの盾となるように立ち塞がったネズミ達を、セピリアが掻っ捌いていく。

 

その勢いはまるで悪鬼のようだ。

 

俺は周りのドブネズミを片づけながら溜め息をついた。

つくづく、こいつだけは敵に回したくない、と思った。

 

野太い悲鳴が通路を震わせた。

 

セピリアが手の平を返して紅い閃光を放った刹那、大ドブネズミの尾が切り落とされたのである。

 

耳障りなかん高い音を響かせ、ぬらぬら光る鉤針が通路を滑って水路の中へ消えていった。

大ドブネズミは狼狽したように、凶悪な笑みを浮かべる白兎を見た。

 

 

 

「てっ、手前、無茶苦茶にもほどってもんが……」

 

 

 

だんっとセピリアのブーツが床を叩いた。

 

確かな速度で、白兎はドブネズミに詰め寄っていく。

 

 

 

「だ」

 

 

 

だんっ。

 

 

 

「れ」

 

 

 

だんっ。

 

 

 

「が」

 

 

 

だんだんだんっ。

 

 

 

「チビだってえ???」

 

 

「おいっ、おめェら……!」

 

 

 

大ドブネズミが子分共に声を掛けるが、答えがない。

 

最後の一匹をグレイが絞め上げていた。

「おっ、オヤビン……」と弱々しく言って昏倒する一匹を放って、グレイはぱんぱんと手をはたく。

 

 

 

「おめェら、とはオレ達のことかイ? アンタとオレ達しかいないようだガ??」

 

 

「チ、チュー……何てこったい……」

 

 

 

大ドブネズミは情けない顔でぴくぴくと痙攣している子分達を眺め、呟いた。

 

近くのネズミにてい良く腰掛けていたベンは、アハハと笑ってセピリアに聞いた。

 

 

 

「で、如何する白兎さん?」

 

 

 

セピリアは刀を収め、右の手の平に左の拳をぱしぱしと打ちつけながら即答した。

 

 

 

「ぶっ飛ばす☆」

 

 

 

俺は銃をホルダーに収め、帽子を深く被り直しながら相手に言った。

 

 

 

「ご愁傷様」

 

 

 

さあっと大ドブネズミが顔を引き攣らせた。

今更、どんなヤバい奴を敵に回したのか悟ったらしい。

 

じりじりと大ドブネズミは後ずさった。

 

 

 

「こっ、これで済むと思うなァッ! 己ら全員生き埋めじゃ!」

 

 

 

そんなことを喚いて、ドブネズミは背後からひと抱えもある球を取り出した。

大きく髑髏マークの描かれたそれは、明らかに危険物だとわかる。

 

俺達が一斉に「げ」という顔をする中、大ドブネズミは導火線の近くで長い前歯を打ち合わせた。

 

 

途端。

 

 

 

 

   ボッ

 

 

 

嫌に明るい炎が爆弾のカウントダウンを始めた。

 

大ドブネズミが高らかに笑いながら水路に飛び込んだ。

俺は水路の柵に身を乗り出すが、ぶくぶくと気泡が上がった後、気配は消失する。

 

俺は舌打ちした。

 

 

 

「あのヤロ……ッ、逃げやがった!」

 

 

「テオ! そんなことしてる場合じゃないよッ! 逃げるよ!」

 

 

 

セピリアの声が通路に反響する中、ジジジと導火線上を火が移動していくのが見えた。

枝分かれした何本もの導火線に従って、火はネズミのようにちょろちょろと駆けていく。

 

 

 

「走れ! 向こうに光が見える!」

 

 

 

ベンが大声で俺達を促した。

 

死ぬ物狂いで走る。

 

走る。

 

真っ直ぐな通路の遥か先に、点のような白い光を見た。

俺の本能が出口だと高らかに告げていた。

 

 

後ろから不気味な風が吹いた。

 

隣のグレイが歯を食い縛り、走りながら呻く。

 

 

 

「あれだけ老朽化してるんダ。すぐに崩れるゾ!」

 

 

 

グレイの言う通り、爆音と共に物凄い轟音と熱風が追いかけてきた。

加速しながら僅かに首を傾ければ、視界の端に真っ赤な地獄の業火とばらばらと突き崩されていく通路が映った。

 

凄まじい勢いで崩壊する床と落盤が追いかけてくる。

 

 

 

「嗚呼……不味い、不味いぞ……!」

 

 

 

悲鳴のような声で呟いて、俺は帽子を押さえしっかり前を向く。

後ろを気にしている余裕はもはやなかった。

 

 

あの光だけに集中しろ。

 

追いつかれないよう走れ。

 

 

ぐんぐんと点だった光が大きくなって、其処にセピリア、グレイ、ベンが次々と飛び込んでいく。

 

踵を落盤が掠った刹那、俺は思い切り崩落寸前の床を蹴って光の中に身を投げた。

それを最後に、通路だったものは完全に押し潰され、ずんと腹に響く音を残して消えた。

 

 

身体を丸めて衝撃に備えれば、もすっと柔らかい地面に転がった。

 

勢いがつき過ぎて投げ出された先は、だだっ広い草原だった。

大の字ではあはあ喘いでいると、俺の存在に驚いたのか鷹ほどにもでかいモンシロチョウが快晴の空に舞い上がっていった。

 

身を僅かに起こしてみると、俺がくぐった直後に既に崩落したのか、岩の破片で埋まった出口が見えた。

がらっと小石が動いて、僅かに崩れたそれがこつんと俺の靴に当たって止まる。

 

 

再び草原に倒れて、深呼吸をした。

 

 

 

「はー……」

 

 

 

あと少しで此処が墓場になるところだった。

 

遺跡に生き埋めなんて、堪ったものではない。

 

 

先程の身を切るような危機感と打って変わって、この世の平和を貪るかのように頭上でパラソルより大きい花が揺れていた。虚空の彼方に緑がそよいでいるのが見える。

此処は静かだった。

 

溢れる日の光が、俺に生きている実感を与えてくれた。

 

此処が遺跡とは違う空間なのだと、自由な外の世界なのだと、そう主張しているかのようだった。