俺に凝視され、セピリアはきょとんとした。
「テぇオぉ??」
俺は首を振って頭を切り替えた。
「そりゃ、こんだけハチャメチャな目に遭えば生きてる実感も湧くだろ。誰の所為って、おまえの所為に決まってんだろーがチビ」
言った途端、相手は「あー!」と目を吊り上げた。
「だからッ! チビじゃないッつってんじゃん! チビって言う奴がチビなんだよ!? 知らないの!?」
言いたいことはよくわかるが、俺とセピリアに当て嵌めるには無理がある気がする。
相手の頭の天辺を見下ろして溜め息をついた。
……明らかに、こいつの方がかなり小さい。
こいつは如何も、この単語だけは許せないようだった。
「あのな……」
「チビじゃないもんッ!」
「おい」
「チビなんかじゃないッ!」
「わかったよ、悪かった。てめぇはチビじゃねえ」
「あーっ! またチビってゆったあ!」
「……内容に関わらずその単語のみに反応するのな、てめぇ……人の話聞けよ! 質問だ。METの首領ってどんな奴なんだ??」
無理に話の路線を引っ張り戻すと、うーと唸っていたセピリアは目をぱちくりした。
「しゅりょーってジョーちゃんのこと?」
ジョーちゃん?
初めて聞く名に首を傾げれば、セピリアは松明の火を素早く動かして、空中に文字を綴った。
「ジョアン・ハッター。METで一番えらーい人のことだよぉ? でね、ジョーちゃんの友達がふたりいてぇ……女の子の方がアシュリー・バレンタイン、男の子の方がメルツ・ランタンマーチってゆうの。誰のこと知りたい??」
俺は揺らめく炎の文字を指し示して言う。
「ジョアン・ハッターって奴のこと」
セピリアは歩きながら、思い出すように目を天井へ泳がせた。
「んーとね……正直ゆうと僕、ジョーちゃんのことちょっぴり苦手なんだよ」
「へえ、おまえにも苦手な奴なんかいるんだな」
物珍しくて言うと、セピリアは溜め息をついた。
「彼、とっても意地悪なんだ。僕にだけ意地悪するの。だから、仲良くしようとしてもてんで駄目なんだよ」
こいつと仲良くなれないとすると、余程まともな奴なのだろうか。
だとしたら、俺は仲良くなれそうな気がする。
セピリアは続けた。
「ジョーちゃんは赤の支配者(アリス)が嫌いなの。だから昔からアリスと友達だった僕のことも嫌いなの、きっと。面倒臭い話だけれど、ね。とりあえず会った方が早いよ」
「成程な」
俺が頷く間に、視界が開けた。
なかなかの広さを持つ小部屋のような場所に出ながら、俺は首を傾げた。
「そういえば、そのアリスってのはてめぇの友達だったのか?」
「だった、じゃないよ。現在進行形で友達なの。どんなに変わっちゃおうと、友達は友達だ」
セピリアはきっぱりとそう訂正し、俺を見上げた。
「間違ったら正してあげるのも、友達の役割でしょう? テオ、だから僕は友達として、今の彼女のやり方は間違ってるってゆえる。それは『歪み(ディストーション)』の所為。僕は、例え友達の誰が豹変してどう僕を嫌おうと罵ろうと、その子を独りにしたくないよ。……だって僕、その子の友達なんだもの」
真っ直ぐな言葉に俺はう、と詰まった。
思い返せば、こいつが今まで正してきた街は、少しだってこいつに優しくなかった。
『歪み』が侵食し豹変した友達とやらを、こいつは正してきたのだ。
それは……辛くはなかろうか。
目の前の小さい背中を見た。
こいつが一体どんなものを背負って歩いているのか、今の俺にはまだ理解できない。
ぱっとセピリアは明るく表情を変えて、俺を振り返った。
「ところでさぁ、テオ。此処、行き止まりじゃなーい?? 変なの。出口のない『迷いの宮(パズル・パレス)』なんて、ちっとも『迷いの宮』っぽくないよ」
セピリアの奇妙な言い回しに、俺は帽子を押さえた。
「っぽくない、って何だよ」
セピリアはこれまたあっさりと返した。
「出口のない『迷いの宮』なんて、唯のどん詰まりだよ。檻か、はたまた墓穴か。……必ず出口はあるはずだ。だって此処、檻でもなく墓穴でもなく『迷いの宮』だもん」
ジョーシキだよ、なんて相手はにゃははと笑う。
何の根拠もない内容でも、こいつの言葉には何故か妙に説得力があった。
ま、こいつが出口はあると言うなら、確かにあるのだろうが。
俺は辺りを見回した。
崩れた彫像と台座、壁も脆くなっているのか所々欠けてはいるが、やはり此処は行き止まりでしかない。
と、目の端に光がちらついたので、そちらに目を向けた。
セピリアの持つ松明の炎が、何かに反射しているのだ。
「おい、何かあるぞ」
相手の注意をこちらに向かせてそれを拾い上げると、それはきらりと俺の手の中で輝いた。
セピリアはしげしげとそれを眺めて言う。
「瓶だね。何なに……『私を飲んで』だって」
俺の手には小瓶があって、その中ほどまで琥珀色の液体が入っていた。
そして、何の自己主張か知らないが、赤い紐で結びつけられた羊皮紙に『Please drink me』と書かれている。
明らかに怪しい。
「よし、じゃ飲んでみよっと!」
「こらこらこら待ちやがれ! 何考えてんだテメェッ!」
平然と蓋を開けようとする阿呆を、俺は全力で止めた。
怪しいだろ!
怪しいだろうがよ、この瓶!
口をぱくぱくする俺を不思議そうに眺めて、セピリアは言った。
「だって『私を飲んで』って丁寧に書いてあんじゃん」
「だからってそんな簡単に飲めるか! 毒だったら如何すんだ!」
「ん~と、お腹壊しちゃう! ……とか」
「……」
「毒消しなら持ってるよ、心配症だねぇテオは。さすがビビりんだぁ」
へらへらと笑われ、むっとした。
さすがに此処まで言われたのでは、俺のプライドに関わる。
俺はセピリアの手から少々荒っぽく小瓶を引っ手繰った。
「よぉし、其処まで言うなら俺が飲んでやるよ。毒だったら、てめぇのこと恨んでやっからな!」
人差し指を突きつければ、相手は仰天したように跳び上がった。
「え、ちょ……テオっ!? お、怒ってる? 冗談だよ! あ、あ、謝るよ、だから早まっちゃ駄目だよ、ねっ? ねっ?」
小瓶を取り返そうと伸ばしてくる手を振り解いて、俺は瓶に口をつけ、一口含んで蓋をした。
ひやりとした液体が、舌から喉へ滑り落ちていくのを感じた。
何の味もしない。
セピリアは俺と液体の入った小瓶とを見比べて、慄いたように呟いた。
「うわー、まままじで飲んじゃったよ……。ねー、テオ。だいじょーぶ?? 毒消し、要る??」
俺もほぼやけっぱちだったので何とも言えないが、別に害はないようだ。
唯、異様な冷たさがまだ喉に残っていた。
小瓶をセピリアに突き返し、口を拭いながら言った。
「いや、別に毒ってわけでも……つうか、何の味もしねぇなこれ。大丈……」
大丈夫だと言いかけたところで、不意にぐらりと視界が揺らいだ。
地震のそれによく似ている。
「ぅ……あ?」
立っていられないほどの揺れに床に膝をつくが、床は揺れていない。
とするなら、ふらついているのは俺の方だ。
何だこれは、とセピリアを見上げれば、何故かぐんぐんとセピリアが遠のいていくのが見えた。
嗚呼、やっぱり毒だったんだ。
セピリアがこんな巨大に見えるなんて。
湧いてくる吐き気に頭を押えると、ぐらぐらが治まってきた。
乗りもの酔いのような奇妙な感覚が後を引く中、不意に誰かに襟首を掴まれた。
俺の身体があっさりと浮き上がる。
「なっ、何だ!?」
微かに足をばたつかせたが、目の前に現れたものに俺は暴れることも忘れ、呆然と息を飲んだ。
広いプールのような大きさの紫眼がふたつ、俺をまじまじと観察していた。
「うわーっ! うわうわ、テオがちっちゃくなっちゃったよ! かーわいーッ!」
鼓膜を震わす大きな声に、思わず両手で耳を塞いだ。
そのまま片眉を吊り上げる。
「ちっちゃく、だと??」
落ち着いてゆっくり見回せば、世界が一変していた。
天井が恐ろしく高い。
と言うか、セピリアのか細かったはずの指が、俺の襟首をつまんであっさりと持ち上げているではないか。
今や俺は、セピリアの手の平サイズまで縮んでいた。
俺は、巨大なセピリアの鼻先に指を突きつけながら言った。
「とりあえず、襟首を摘まむのやめろ。子猫じゃねえんだ」
「子猫ってゆうか、もはや小人だよテオ」
言いながらもセピリアは、手の平にそっと俺を乗せてくれた。
だいぶ話し易くなった。
自分のサイズをもう一度確認してから、セピリアの方を向いた。
「人が縮む薬なんて、聞いたこともねぇぞ」
セピリアは笑った。
「僕、知ってるよ。これジョーちゃんが作った奴だよ。ジョーちゃんてば、他に人が大きくなるケーキとか自動かき混ぜティーカップとか作ってんだもん」
俺は盛大な溜め息をついた。
前言を撤回しなければなるまい。
「やっぱり、そいつと仲良くなれそうにねぇな……」
ん、ちょっと待てよ?
俺はいつまで小さいままでいなくちゃならないんだ?
そのジョアンとやらが作った、人が大きくなるケーキが要り様なのか??
俺は頭を抱える。
セピリアはうーんと唸って、俺と小瓶の液体を交互に見ながら言った。
「兎に角、一旦グレイとベンちゃんとこに戻ろっか。こっちは行き止まりと小瓶しかなかったし」
俺は、セピリアの肩に飛び移りながら頷いた。
「そうだな。あいつらが何か見つけていれば良いんだが」
その様子を眺めていたセピリアが、不意ににんまりとした。
「それにしてもテオってば、……言わせてもらうけどさ」
セピリアがスキップし始めたので、慌てて相手にしがみつく。
凄い体感スピードだ。
ふふふと含み笑いして、セピリアは上機嫌で続けた。
「チビってゆうからチビになっちゃうんだよ、おチビさん☆」