「のワアァァァァァ―――――――ッ!」
「うああぁぁぁぁぁ―――――――ッ! いつまで落ちんだよコレぇ―――――ッ!!??」
こんな調子で俺とグレイは落ち続けている。
待て待て待て。
本当、何処まで続くんだ。
真下に広がっていたはずの空間はいつの間にか傾斜を帯び、俺達は滑り台を滑る要領で下へ下へ下っていった。
俺の前方を行くグレイの赤髪が風圧で靡くのを見た。
さすがのグレイも余裕なんてないのか、悪い顔色のまま俺を振り返った。
「おいテオ! これヤバくないか!?」
滑り落ちる風圧で、相手の声は上へと吹き飛ばされていく。
俺は滑り台のような通路に仰け反りながら、叫び返した。
「ヤバいもくそもあるかッ! 何でも良いから兎に角止めろ!」
「くっ、簡単に言ってくれるよ全く……」
俺の顔を見ながら、相手は呆れた。
何かを詠唱しようとするグレイの悪態が聞こえる。
そんな相手の背後、遥か向こうを見て頭からさーっと血の気が引いた。
俺は前方を示して必死に叫んだ。
「ちょ、待て! 前! 前見ろ!」
俺の表情に、グレイは迷惑そうな顔をした。
全然、今の状況に気づいていない。
「ハ?? 前って……」
自身の背後を振り向いたグレイが一体どんな表情をしていたかは窺い知れなかったが、確実にこいつにも見えただろう。
この長い滑り台の終わりが。
スキーのジャンプ台のように緩やかな曲線を描き、その通路は途切れていた。
そしてその先に広がる青の床を目の当たりにして、グレイは勢い良く俺を振り返った。
「だーッ! 沈む! テオ、これは悪夢か!? 水だぞばかあッ! 死ぬ、オレ死んじゃうッ!」
ほぼパニック状態なグレイの声が、通路にわんわんと反響した。
俺は耳元でひゅうひゅう鳴る風音を聞きながら帽子を押さえた。
こいつは足の着かない深さの水が大嫌いなのだ。
そうこうしている間にも、俺達はぐんぐん加速している。
別に濡れるくらい何てことないが、このスピードで水に突っ込んだらそう、こいつの言う最悪な結末になるだろう。
俺は溜め息をついた。
「落ち着け。兎に角減速しなきゃ、このまま叩きつけられて」
「びしょびしょになるくらいなら死んだ方がましだ!」
「冗談抜きで減速しろよ! 俺より風魔法得意だろうが! ちょっと遊泳するくらい何だ! つべこべ言わずにやれ!」
「遊泳!? 遊泳だと!? ふざけるな! あれは三途の川だ!」
「死ぬならひとりで死ね!」
低レベルな言い争いの間に、ぐんと身体が浮き上がるのを感じた。
ものが空中に投げ出される要領で、俺達は放物線を描いて飛ぶ。
視界の端に、巨大な根で覆われた天井と、青く煌めく水の床が見えた。
あ、水にぶつかる。
受け身を取ろうとしたところで、身体が水面ぎりぎりで空中停止した。
そうか、と思い出す。
そう言えば、セピリアが上空三十センチでものが停止するのは常識だと言っていたな。
隣を見れば、俺より一足早くグレイが着水するところだった。
ばしゃんと水飛沫があがった。
「ぎゃんっ! だー! いやだ水は嫌いだうあああああ!」
騒がしい相方を尻目に、俺は上手く足から着水することに成功した。
この世界の法則も便利なものだな、と思った。
水はかなり浅く、俺のズボンを膝下までしか濡らさないほどだった。
俺は目を白黒させながらもがくグレイを見下ろして呆れた。
「遊泳どころか歩いて渡れんじゃねえかよ。良かったなグレイ」
「良いわけあるカッ!」
尻餅をついた状態で、グレイは赤髪から水滴を垂らしながら、涙目で睨み上げる。
「地下に水が溜まってるなんて、聞いてないゾ」
俺は天井を見上げて頷いた。
「随分と下に来ちまったな。セピリア達とはぐれちまった」
「オイ無視すんナ! アンタ全然濡れてねぇよな、腹立たしイ!」
「冷てっ! バッ……水飛ばすな!」
ばしゃばしゃと大股で歩いて、俺達は乾いた床に上がった。
見回せば、上と同じ石造りの壁に温かい光を発するコガネムシのような生物がとまっていた。
地下だからか上と比べ明度は落ちるが、歩けないほどではなさそうだ。
ぴちょんぴちょんと時折、天井の根から水滴の垂れる音が響いている。
ぷるぷると水滴を振り飛ばして、グレイはぽっかりあいた横道を見遣った。
「如何やら進む以外なさそうだネ、テオドア君」
グレイが人差し指を振ると、横道に立て掛けてあった松明にボッと火が灯った。
それを手に取り、やれやれと首を振った。
「そのようだな」
グレイは引っ繰り返して水を零したブーツをとんとんと履くと、俺の後に続いた。
暗い一本道の先には枝分かれした道が広がっていた。
思わず唸った。
「地下の大迷宮、ってか」
「地上のあれは序の口だったようだネ。……差し詰め、ミノタウロスの迷宮と言ったところカ」
グレイはふ、と息をついて呟いた。
「何だそりゃ」
俺が隣を歩くグレイを見ると、グレイは右しかない瞳を細めた。
「文学をちゃんと読みたまえヨ、テオドア君。迷宮とは何かを閉じ込めるにしろ何にしろ、簡単には抜けられないように作られているんダ。一般的に、左手法を使えばゴールまで壁が外接している場合抜けられるが……例外もあるからネ。文学に従おうではないカ」
グレイの手にはキラキラ光る銀の糸束が握られていた。
グレイは分かれ道を示して言う。
「目印法をお勧めするヨ」
それから俺達は、分かれ道を見つける度に目印をつけて歩いていった。
歩き回ることに加え、巨大な石の球に追いかけ回されたり、槍が降ってきたり、タライが降ってきたりと、嫌な仕掛けばかりが施されており、階段を見つけた時には既に満身創痍だった。
階段をのぼり切って、俺は喘ぐ。
「誰だこんな無駄なもん作ったのは」
グレイも疲れたように近くの壁に寄り掛かって言った。
「さて、ネ。余程の暇人か、あるいは……」
「『歪み(ディストーション)』だよっ!」
唐突にそんな明るい声がして、俺は跳び上がった。
聞き間違うはずもない。
きょろきょろと辺りを見回して声を掛けた。
「セピリアか!?」
「酷いな、若人よ。オジサンだっているよ?」
「ベン!? ふたりとも何処にいるんだ??」
声の発信源を探して歩き回る俺の足元で、がこんと石が沈んだ。
それと同時に、壁近くで目を丸くしていたグレイが「うわッ」という声を残して消失する。
壁が回転したのだ。
壁の向こうに赤髪の青年が消えた代わりに、壁の向こうから「およよ?」とまん丸な目の白兎が出現した。
セピリアは俺に手を振ってにっこりした。
「あ、やっぱり壁の向こうの誰かさんはテオだったんだねぇ。グレイの声もしたのに、姿が見えない。ありゃりゃのりゃ??」
間の抜けた対応に、俺は脱力した。
「グレイと入れ違いになったんだ。……おい、グレイ。無事か?」
壁の向こうに呼び掛ければ、くぐもった声が返ってきた。
「何とかナ。あいててテ……」
如何やら何処か打ったらしい。
俺は辺りを見回すセピリアに目を向けた。
「それで? 『歪み(ディストーション)』が何だって??」
セピリアは俺を見上げて説明を始めた。
「ベンちゃんがゆってたの。道が変わっちゃったんだって」
「変わったって言うか、広がってるよ、この『迷いの宮(パズル・パレス)』は」
壁の向こうから悩ましげなベンの声がした。
俺達が壁に目を向けると、ベンが続ける。
「『迷いの宮』の地下は、こんなに広くはなかった。それに、本来ならこの地点から一本道でMETまで直結しているはずなのに……その道が何処かへ消えちゃってるんだよね~」
「道の方が迷子になっちゃったんだよ、テオ」
あっさりとセピリアがそんなことを言った。
俺はこめかみを押さえる。
道が迷子になるなんて、聞いたこともない。
不意にグレイの声がした。
「提案なんだガ」
俺達が黙ると、壁の向こうでグレイは言った。
「このまま分断して動き回るのは少々危険ダ。だから、この地点にどちらかが留まって、この地点を調べル。もう一方は動く、というのは如何だろウ? そうすれば、ちゃんと此処でまた会うことができるんじゃないカ??」
「それさんせーい☆」
早々にセピリアが手を上げた。
無論、俺も異議はない。
ベンが力無く笑った。
「じゃ、オジサン達が此処に残るよ。年だからねぇ……良いかな、赤猫くん??」
疲れたように言うベンに、グレイが応じた。
「オレは構わないが、そもそもアンタの方がこの迷宮に詳しいんじゃないのカ?」
「グレイってば、道変わっちゃった時点でベンちゃんは役立たずなんだよ」
セピリアが何の悪意もなくズバッと言った。
壁の向こうで「うう、白兎さんヒドイ……」と嘆くオッサンの声が聞こえた気がする。
セピリアはどーんっと胸を張った。
「此処は僕とテオに任せちゃいなよ! ちゃぁんと調べたら此処に戻ってくるからねっ! さ、行こっ」
俺の手を取って、白いチビが勢い込んで歩き出した。
引きずられるように歩き出した俺の背後でのんびりと「いってらっしゃイ」と言うグレイの声と、オッサンの嘆きが響いていた。
「たっんけっんぼっうけっんうっれしっいなっ♪」
無駄にスタッカートの利いた変な歌を歌いながら、セピリアは俺の前を歩く。
セピリアがスキップするたびに、ウサ耳フードの鈴がリンリン鳴った。
本当、いつでも何処でも年中無休で呑気な奴だ。
俺は、セピリアが持つ松明の炎が揺らめくのを見ながら、そいつの後ろに従っていた。
と、唐突にセピリアが俺を振り返って笑顔でこう言った。
「じゃ、昨日の続きね」
俺は眉を顰めた。
「何が」
「質問だよ、し・つ・も・ん! 僕からって約束じゃないか」
言われてそうかと思い出した。
ひとつ聞いたら、ひとつ答える約束のあれだ。
子供だからだろうか。
こいつの記憶力は時に、異常なほど良い。
内心舌を巻きながら、肩を竦めた。
「あー、昨夜の質問の続きか。致し方ねぇな、何だ??」
俺が諦めれば、相手は上機嫌になった。
「うふ~☆ それじゃぁ……テオの嫌いなものってなーに?」
「厄介事」
即答したら、相手はげらげらと笑いこけた。
苦しげに息をしながら、セピリアは笑い涙を拭う。
「そ、そのわりにキミはッ……進んで厄介事に飛び込むじゃないか、あは、あはは!」
朗らかな笑い声に、俺はぐうと詰まった。
言い訳も思いつかず、ぷいと顔を背けた。
「煩ぇ。巻き込んだのは、全部そっちじゃねえか」
ちっこい頭を小突いてやれば、セピリアは口を押さえてふふふと言った。
「でも、厄介事に巻き込まれたキミは、生き生きしてるよ」
そんなわけあるか、と言い返そうとしてやめた。
言われてみれば、確かに国家から逃げ回る単調な日々とは比べものにならないほど、今の俺は行動的だった。
何度も何度もひやりとする場面はあったが、その度に自分以外の力に助けられてきた気がする。
思えば、その際たる力は目の前のこいつである。
認めるのは癪だが、この生活は今までにないほど新鮮だった。
誰かと関わるのがこんなにも自然なことなのだと、果たして昔の俺が予想しただろうか。
(こいつに出会ったことで)
何もかも新しくなった。それはとても不思議な感覚だった。
全てが、変わった。