俺はやれやれとキセルを咥えた。
「俺から質問、如何しててめぇはその時計を持ってるんだ?」
「……答えなきゃダメ?」
セピリアが聞くので、肩を竦めた。
「パスしても良いが、次、俺もパスするぜ?」
「もらったの」
「誰から?」
「ぶー。一回は一回だよテオ。僕の番」
「っち、……何だ?」
「テオがいっちばーん幸せだった思い出は?」
唐突なことに、思わずぐうと詰まる。
俺はセピリアの大きな瞳を覗き込んだ。
そう来るか。
相手の瞳の中にキラキラした好奇心を見た。
仕方なしに答えた。
「師匠(せんせい)……あ、俺の育ての親が生きてた頃、だな。あの時は『霧の街(ミスト・タウン)』に住んでいたし、グレイともよく会っていた。驚くことに、学校にも通っていた」
「テオがぁ!?」
信じられないという顔をするセピリアに、俺はむすーっとする。
心底、心外だった。
「ほっとけ! 行かされてただけに過ぎねえ! 次、俺から質問。誰から時計をもらったんだ?」
セピリアが目を泳がせた。
まるで何かを懸命に思い出そうとしているかのようだった。
「とーさまと、かーさまから……もらった」
意外過ぎる単語に、目を丸くして聞き返した。
「父様、母様って、てめっ……親いるのか!?」
「もういない」
遮るように言われた。
あっさりとしたセピリアの言葉に、キセルを取り落としそうになった。
「……それって」
「勘違いだね」
俺の表情にセピリアはころっと笑った。
俺の思考を先読みしたようだった。
相手は笑いを引っ込めて悩ましげに遠くの空を見つめた。
「死んでないよ。でも、わかんない。皆消えた。とーさまもかーさまも犬も猫も料理長も使用人も皆みんな。まるでスイッチを切るみたいに、ぷつんて消えた。気がついたら僕は、麗夢(ここ)にいた。何もわかんないまま」
銀髪が揺れてよく見えないにもかかわらず、その横顔は何処となく苦しげだった。
俺は目を瞬いた。
「記憶、ねえのか?」
「それって質問?」
セピリアはいつになく不機嫌に聞き返したものの、ふっと息をついて弱々しく笑った。
「僕らしくもないねぇ……うん、そう。なーんも覚えてないよ。ちょっと前まで愉快で楽しくて幸せな夢を見ていたのに、急に冷たい水をぶっかけられて目が覚めるのとよく似てる。何もわからなくて、でも……此処んところはがらんどうで」
とん、とセピリアは自身の胸の中央を人差し指で叩いて、ぽつりと続けた。
「さみし、かったよ」
風が相手の銀髪を揺らした。
俺は動揺する。
初めてこいつの本音を引きずり出してしまったかのような、奇妙な感覚に支配された。
こいつはいつだって飄々と、人の言葉をあしらっていくのに。
白兎はいつだって、ぴょんぴょんと跳び跳ねて他人の追撃から逃げ果せてしまうというのに。
こいつにだけは人が言う、心、というものが欠落しているのだと思っていた。
それは俺の驕りだったらしい。
人の内側を直視するのは久しくて、それは俺の脳の容量(キャパシティ)を軽く超えてしまう。
俺はきっと、人のそれを見ることを、数年前から拒んでいたのかもしれない。
否、それとも切望していたのだろうか。
寂しかったよ。
その言葉が妙に心を揺さぶった。
セピリアはいつも通りころっと表情を転換、へらへら笑って俺を見上げた。
「この時計だけなんだよ。僕にとっての手懸かりは、さ。これがきっと始まりだったんだ。僕も、この麗夢(せかい)も、『歪み(ディストーション)』も……だから僕は全力で時計を直す。いつかまた、幸せな夢が見たいからね」
「そうか」
俺はふーっと紫煙を吐き出した。
その煙は俺の心中を乗せて、闇に溶けていく。
色々と思うところはあった。が、次の瞬間、セピリアの「じゃあ僕からのしっつも―ん☆」という声であっさりと思考は中断される。
今更こいつに、考えごとくらいさせろよとか言っても無駄だと諦めていた。
セピリアは聞く。
「テオはどぉしてあの時とあの時とこの時、僕を助けてくれたのぉ??」
毎度思うが、こいつの言ってることの半分以上が意味わかんねぇ。
俺もさすがに慣れてきていて、片眉を吊り上げつつ平然と聞き返した。
「具体的にいつの話だ、それ」
セピリアは指折り数えた。
「僕が毒蛾に刺されてばたんきゅーした時とぉ、キミがギカイに僕を連れてかなかった時とぉ、あと僕のこと手伝ってくれるってゆった時!」
かなり具体的だった。
俺は唸るしかない。
よくもまあ、昔のことを細々と覚えてるよなこいつは。
しばらく顎に手を添えて考え込んだ。
考えて。浮かばなくて。
諦めた。
「理由なんて、ねえよ」
そう言えば、セピリアは目を丸くした。
「ええっ、ないのぉ!? マジで!? ウソでしょ!? うわー」
本気で仰天されて、何だか申し訳ない気がした。
俺はばつの悪い顔をした。
「あー……っと、どうしても理由が欲しいっつうんなら、あれだな。昔、俺は酷い失敗をした。取り返しのつかないような、馬鹿な失敗を」
失ったものは、余りにも大き過ぎた。
置いてくのも背負うのも、重過ぎたんだ。
相手は唯、俺の声に耳を傾ける。
俺は続けた。
「同じ間違いを繰り返したくねえから、心の声に従った。過去の清算のつもりはねぇが……てめぇを助けて楽になったことは、ある」
セピリアはゆっくりと微笑んだ。
その表情は優しかった。
「そんなに自分を責めなくていーのに。テオが本当は良い人だってこと、僕知ってるよ」
何言ってんだか。
何も知らねえ癖に。
そう言おうとしたのに相手の顔なんか直視できなくて、ふいと顔を背けた。
何だか負けたような気がした。
喉の奥が鳴りそうになるのを必死で堪えた。
今まで溜めていた何かが決壊しそうで、早々に頭を働かせる。
そのままではこの表情を見られてしまうから、帽子を深く被って自分の顔を隠しながら、如何にか冷静な声を絞り出した。
「俺から質問。てめぇ一体何者なんだ?」
セピリアはきょとんとした。
「ナニモンってなーに? あ、あの酸っぱい奴??」
「そりゃレモンだ」
「じゃ、指んとこの」
「そりゃ指紋だ」
「ナニモンってなーに?」
ますます不思議そうにセピリアは首を傾げた。
俺は言う。
「前に議会の話をしたろ? その大臣の男、ラスト・メルヴィスって奴が言ってたんだ。魔力を永久に生み出す方法には、てめぇが必要不可欠だって」
ちゃんとした答えが返ってくるかと思いきや、セピリアはむむ、と腕を組んで考え込んだ。
「僕、イマイチぴんとこないよ。だって僕、そんな人と友達じゃないし、魔力を永久に生み出す方法なんてちっとも知らないもん」
俺は意外な気持ちで口を開いた。
「てっきりてめぇが何か知ってるものと思っていたんだが」
「そんな便利な方法あるんなら僕、とっくのとうに時計直しちゃってるよ! むしろ教えてほしいくらいさぁ!」
白兎はもっともなことを言う。
こういう時ばかりは、こいつの意見は疑いようがないくらい正しかった。
それもそうか、と納得しながら、キセルを叩いて灰を落とした。
いつの間にか香草が燃え尽きるほど、時間が経っていた。
セピリアがぴょこんと跳び上がって言った。
「じゃ次、僕からの質問ね……」
「こんな夜更けに何やってんだい、おまえさん達」
唐突な第三者の声にどきりとして振り返れば、古代樹の女主人がバルコニーの入り口に立っていた。
セピリアは悪びれずに、相手の方へ駆けていく。
「あっ、せんせー! テオとお喋りしてたんだよ」
コバルトの目をちらつかせて、ワーム博士は呆れた顔をした。
「夜更かしは感心しないねぇ、セピリア、テオドア」
俺は素直な反省の色と共に、相手に肩を竦めて見せた。
「つい話し込んじまってな。もう寝る」
「えぇ――――――ッ!!??」
セピリアが大憤慨を込めた大声をあげた。
「なんでぇ!? 何で何で寝ちゃうんだよー! これからあははうふふな時間じゃんッ!」
「誤解を招く言い方をするな」
「あうッ!」
俺のグーの形をした手を脳天に食らって、白兎は下へ屈み込んだ。
博士はからかうように言った。
「邪魔だったかね?」
「馬鹿言わないでくれ。唯、この小僧が俺への質問を中断されんのが嫌なだけだろ。俺は寝る」
そう宣言すると、博士は何故かきょとんとした顔で、頭を押さえてあうあう痛がる白兎を見た。
「小僧?? ……あ、成程。小僧ってセピリアのことかい」
「?」
他に誰がいるんだ?
俺が首を捻っていると、セピリアがよろよろと立ち上がった。
「ず、ずるいよ~~~……質問逃げなんてぇ。キミの方が一個多く質問してるんだかんね」
如何にも変なところで細かい奴だ。
俺は溜め息をついた。
「じゃ次、質問はてめぇからってことにしとけよ。明日早ぇんだ。てめぇももう寝ろ」
「早くないもんっ!」
意地っ張りな子供に、博士が笑いながら言った。
「早いだろうにセピリア。テオドアの言う通りだよ」
博士の言葉に、セピリアはいじけたようにぷーと頬を膨らませた。
「せんせーまでそんなことゆう……」
博士が「あ」と言った。
「セピリア、羊が?」
急な質問に、セピリアは面食らったようだった。
「ふぇ?? 何? 一匹?」
「羊が?」
「二匹」
「羊が?」
「さん……ぐ―――……」
博士の催眠術にでも掛かったように、セピリアがその場で寝倒れた。
さすが、扱い慣れてるといった感じで、博士はよっこらせと子供を抱え上げる。
「世話掛けたね、テオドア」
「否」
むしろ如何やってこいつを此処まで扱えるのか俺は知りたい。
博士の催眠術は強力なようだった。
出会って間もないがこの老女、唯者じゃねえぞ。まじで。
そんなことが頭を過ると、相手は俺の表情を見てにやりと笑った。
「まあ世話のかかる子ほど可愛いと言うからねぇ。あの居候もこの子兎も目いっぱいの問題児だが、……ふたりの面倒頼んだよ、テオドア」
どやしつけつつベンのこともちゃんと気に掛けていたらしい。
そして、焦りを募らす白兎には歯止め役が必要なのだと悟った。
俺は背筋を伸ばした。
眠るセピリアを一瞥し、頷く。
「そいつらに助けられた分、見てやるさ。借りは返す主義なんだ。……おやすみ」
「おやすみテオドア」
博士は安堵したように二、三度頷き返し、ゆっくりと俺に背を向けた。
セピリアを背負った老女の背中が闇に消えるまで、俺はその場で見送るのだった。