俺から質問
3.言の葉を紡ぐ
夜風が樹々の葉を揺らしている。
静かな夜だった。
見上げれば、星が瞬くのが窺える。
この世界にも星はあるんだな、とぼんやりと思った。
互いに囁き合うように幾千の星々がちらちらと輝いていた。
天は、さながらダイヤモンドをぶちまけた濃紺布のようだ。
上空は、風が強いのだろうか。
「寝とかないと、身体保たなくなるよ」
不意に背後から声がした。
悲しきかな、長年の経験がものを言い、反射的に動いて振り向きざまに相手の額に銃口を突きつけていた。
相手がセピリアだと気づくのにまるまる一秒。
俺は、止めていた息を吐き出した。
「んだよ、てめぇか。驚かすな」
セピリアは馬鹿な子犬みたいに、ころっと笑った。
「キミが勝手に驚いたんじゃないか」
まるで俺の銃が水鉄砲か何かのように、相手の表情にはイマイチ危機感がない。
間違えて撃っちまってたら、如何するつもりなんだコイツ……。
そう思っているとセピリアは首を傾げて、くりくりした目で俺を見上げた。
「良い子は皆、寝る時間だよぉ??」
俺は銃をホルダーに仕舞って鼻で笑った。
「生憎、俺は良い子じゃないんでな。…そういうおまえこそ、さっさと寝とけよ。明日、『お茶会』とやらに行くんだろう?」
セピリアは曖昧にうーんと言った。
「そうなんだけどねぇ……」
先程のベンジャミン達の話を思い出す。
鶏肉のソテー、木の実パイ、七色のサラダ、トマトスープ、プティングに果実酒ゼリー……挙げ出したらきりがないような夕食の皿に埋もれたテーブルで、最初に口を開いたのは博士だった。
「早々に悪いんだけどね、ちょいと頼まれてくれないかい?」
俺が切り分けたパイを咀嚼していると、セピリアがあっさりと即答した。
「いーよ、せんせー。任せなよ」
思わずむせた。
口を押さえてゲホゲホしていると、隣のグレイが呆れたように「汚い」と呟く。
構わず、スパゲッティーを絡め取っているセピリアに言った。
「お、おいおい……せめて内容くらい聞けよ。引き受ける前によ」
セピリアは両手にフォークを持って、行儀悪くスパゲッティーを弄繰り回しながら「ん―」と唸る。
如何やらこいつの集中力は、目の前の皿に持っていかれているらしい。
「せんせーの頼みごとが何だか、わかるよ僕。当てたげよっか? 『永久に終わらないイカレたお茶会(Mad noEnding Teaparty)』に行ってきてほしいんだよ。違う??」
「正解」
生徒に答える教師の如く、ワーム博士はそう言ってワインを煽った。
鶏肉にフォークを突き立てながら、グレイが訝しげに博士を見た。
「お茶会なんかに行って、如何しろト?」
ベンがぷっと吹き出した。
グレイが睨むと、笑う男は両手を振った。
「や、ごめんごめん。METっていうのは、名前は『お茶会』だけどね。反支配者勢力の通称なんだ。説明が必要かな?」
グレイはフンと鼻を鳴らした。
俺は拗ねてしまった相棒の代わりに言う。
「出来ればわかりやすく」
「お任せしました、おふたりさん」
ベンはウインクして、説明を始めた。
博士が「お調子者め」と呟いているが、本人はそんなこと全く聞いていない。
「この世界にはたくさんの街があるよね? 白兎さんは『歪時廊』の中の『扉』と言っているけれど。でも最初は、たったひとつの街しかなかったんだよ。始まりの街『赤の都(レッド・ローズ)』」
「赤の支配者(アリス)がいる街だよ」
ゼリーを口いっぱいに頬張って、セピリアがそう付け加えた。
セピリアを一瞥し、再びベンを見遣る。
「アリスって?」
「赤が好きな支配者様さ。昔はね、『歪時廊』の中に色んな街を次々作って、皆でたくさんのゲームをしたものだ。楽しかったよ。彼女は有能な支配者だった。……でも」
ふっとベンの顔が曇った。
「急に何もかもおかしくなっちまったんだぁ。『歪み(ディストーション)』の影響なのか、如何なのか……支配者様は突然厳しい法律を作って、従えない者の首を刎ねたがるようになってなぁ」
たんっとワイングラスがテーブルを叩いた。
ほろ酔いで顔を赤くした博士が長く長く溜め息をついた。
「税は上がる一方、加えて『歪み』の侵攻に赤の支配者の法律で雁字搦めとあっちゃあ、あたしらだって苦しいさね」
その顔には疲れが窺えた。
グレイが話を先読みして言う。
「それで反支配者勢力(MET)ってのができたのか。この苦しい状況を変えたいんだね、皆」
ベンは顔を輝かせた。
「おおっ! 素晴らしい頭の回転だな猫くん。その通り! METの首領がお茶会好きな人でね。それで呼び名が『永久に終わらないイカレたお茶会(Mad noEnding Teaparty)』になったんだよ。ま、この方が物騒に聞こえなくて良いだろう?」
此処まで良いかな? とベンは俺とグレイに尋ねる。
俺達は顔を見合わせた後、頷いた。
博士が口を開いた。
「おまえさん達にこの封筒をMETへ届けてほしいんだ。なに、悪い話じゃないよ。首領の男はひとつ、時計の部品を持つと聞く。それに、METは情報が多く集まる場所だ。何か良い情報を得られるかもね」
成程、所謂お使いか。
納得してスプーンを置いた。
そして相手の言う通り、行くことに価値があるらしい。
セピリアが有無を言わさず引き受けた意味がようやくわかった。
俺は差し出された封筒を受け取りながら言う。
「俺もセピリアに異論はないな」
「右に同じク」
グレイも伸びをしながらそう言った。
ベンが嬉しそうに手を打った。
「はいじゃあ、決ーまり! 明日の朝には出発だ! オジサンも同行するよ。さあさあ皆の衆、今日はこれにて解散。若者は早く寝て、英気を養ってくれたまえ」
リズム良く言い切るベンの後頭部に、木べらがすこんと命中した。
博士だった。
「うるっさいわ阿呆! おまえこそ先に寝ちまいなっ!」
博士の一撃でベンが静かな眠りにつくのを目の当たりにし、俺達三人は居間から早々に退散したのだった。
眠れないのはこいつも同じだったのか、セピリアはぽつりと言った。
「何だか時計が騒ぐんだ。此処んところ、どくんどくんって音がして。僕に寝るなって言うの」
そいつが指差したのは胸の辺りで、ふっと息をついた。
「それは時計が騒いでんじゃなくて、てめぇの心臓が騒いでんだろうが。……何か不安か?」
そっと手を伸ばして相手の胸に触れれば、確かに早い鼓動が伝わってきた。
俺の手に両手を重ねて、相手は首を傾げた。
「ふあん?」
「……何か心配、とか」
「しんぱい……??」
困ったように、戸惑ったように、セピリアはこちらを見上げた。
その顔に一瞬どきりとする。
相手は迷子のような顔をしていた。
「僕には、よくわかんないや」
投げ遣りにそう言って、セピリアは俺の手を押し遣った。
空を見上げて、そいつは続ける。
「わかんないけど、でも……何処で間違っちゃったんだろ、って思うよ。何で、如何して、こんなふうに歪んじゃったんだろ、って。昔は、あんなに楽しいところだったのに。早く何とかしなくちゃいけないのに。僕が……早く時計を直さなくちゃ。もっともっと頑張って、……それで」
嗚呼、と俺は心の中で納得した。
こいつは焦っているのだ。
心に身体が追いつかなくて、苛々しているのだ。
それがはっきりと伝わってくる。
本当はとうに疲れ切っているのに、眠らないのは……眠ることを許さないのはこいつ自身だった。
バルコニーの手すりに身体をもたせかけ、キセルを取り出した。
「なあ、セピリア」
声を掛ければ、ん、とセピリアが俺を振り向いた。
「なぁに、テオ?」
俺は、しばらく白兎を見つめた。
さわさわと木の葉が静かに擦れ合うのを聞く。
静かな夜だった。
穏やかな夜だった。
此処には俺とこいつしかいない。
だから、今が相手と話す機会なのだと思った。
俺は口を開いた。
「ずっと聞きたいことがあって。たくさん」
「なぁに、テオ?」
「てめぇのこと」
言えば、相手は素敵な笑顔でこう返した。
「教えなーい☆」
ちっこい兎頭を鷲掴みにして、バルコニーの向こうに押し出そうとすると、さすがのセピリアも「ぎゃー!?」と言った。
「てっ、テオ! 落ちる! 落ちるよ僕ッ!」
「落ちろ! 落ちてしまえテメェなんかッ!」
「やぁ! だって嫌だもん! 僕のことなんてどーでも良いじゃんっ! 言いたくないよ! テオだって僕に何も教えてくれないじゃんっ! 不公平だっ!」
ふたりで息も荒く睨み合う中、ひとつの星が空から流れた。
静かな夜にこんな不毛な言い争いは非常に似つかわしくなかった。
沈黙が一分二分。
先に根負けして、涙目で頭を押さえて睨んでくるチビに言った。
「わかった。じゃ、俺がひとつ聞いたらてめぇが答える。次にてめぇがひとつ聞いたら俺が答える。繰り返す。オーケー??」
「うー……」
子犬のように唸ってセピリアは心底嫌そうな顔をしたが、やがて眉間の皺を消して頷いた。
「……うん、いーよ」