ィ抜くなよ、お兄さん

 

 

2.蜥蜴に導かれて

 

 

 

「テオドア」

 

 

 

何だよ、師匠(せんせい)。

 

 

 

「あんた、何のために銃を握ってる?」

 

 

 

はあ??

 

 

 

「誰のために、あたしから技を学んでるのかって聞いてんだよ」

 

 

 

……知るかよ。

 

 

 

 

知るかよ、そんなの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫かい、君ぃ」

 

 

揺り動かされて、目を閉じたまま眉を顰めた。

とても嫌な夢を見たような気がした。

それなのに、その内容は笑えるほど思い出せない。

 

唯、疲れ切っていた。

 

もう少し、眠りたい。

 

眠らせてくれよ。

 

すると、また間延びする声がした。

 

 

「おーい。生きてるかぁ??」

 

 

煩いな。

 

あと少し眠ったって、罰は当たらないだろう?

 

 

嫌々ながらに目を開ければ、暗い灰色とかち合う。

そいつは屈託ない笑顔を浮かべた。

 

 

「お、生きてた」

 

 

俺を見下ろしていたのは、痩せた男だった。

俺よりずっと年上だろう。

 

暗い灰色の髪と、それと対照的な明るい緑の瞳。

 

その優しげな瞳をしげしげと見て呟いた。

 

 

「……だ、れだ……?」

 

 

男は気さくに答える。

 

 

「ベンジャミン・ララバイ。人呼んで、蜥蜴のベン」

 

 

とかげ??

 

俺は地面に転がったまま首を傾げた。

 

まだ夢の匂いに包まれて、頭がはっきりしない。

……如何見ても人間にしか見えないが。

 

霞みがかった思考のまま身を起こして、帽子を直しながら名乗った。

 

 

 

「テオドア・デュ・ヴィンテージ。人呼んで、蒼穹の銃使い」

 

 

「へえ、かっちょ良いじゃん若人よ。それだけ喋れりゃ大丈夫だな。オジサン、安心したよぉ」

 

 

 

男はへらへらと笑った。

 

……何だか、胡散臭いオッサンだなオイ。

 

立ち上がりがけにそんなことを思って、俺は上着の泥を払った。

立ち上がると急激に頭が冴えてきた。

思考が、先程の淡い夢から現実へと移行する。

 

辺りを見回すと、古代樹のような巨大な樹が幾つも絡み合い、天に向かって伸びていた。

湿地のような、熱帯林のような、水気の多い黒い地面が続いている。

それを覆うかのように、人の胴より太い樹の根が這っていた。

 

まるで巨人の中に放り込まれたような錯覚がした。

 

俺の表情に相手はあっさりと言った。

 

 

 

「此処は何処だ、って顔してるな」

 

 

 

睨むと、男は両手を上げた。

 

 

 

「そう睨むな、お兄さん。オジサンを疑ってるのか?? 白兎さんに頼まれて、君を探しに来たのにぃ」

 

 

 

白兎という単語に、思わず脱力した。

 

 

 

「てめぇ、セピリアの使いか?」

 

 

 

男は胸を張る。

 

 

 

「その通―――り! このオジサンを、どーんと信用しちゃいなよ」

 

 

 

何故だろう。

……急に不安になってきた。

 

しかし、あいつもあいつで変だから、使いのオッサンもおかしいのはまあ理に適っているのだろうか。

 

ひとり納得していると、ベンジャミンは説明を始めた。

 

 

 

「白兎さんは、この先の先生んところにいるよ。……嗚呼、先生ってのはワーム博士のことさ。この古代樹に住んでる変わり者のばーさんだが、まあ良い人だ。この広―い古代樹の中で君を探すの、苦労したんだからな。ってぇわけで、オジサンについて来てくれな? オーケー??」

 

 

 

俺は仕方なしに頷いた。

とりあえず、こいつは信用しても良さそうだ。

相手の態度に悪意は感じられなかった。

 

男はすたすたと歩き出した。

背が高くて見失いそうにないものを、何故か樹木に溶け込んでしまう。

 

俺は慌てて男に従った。

俺は言った。

 

 

 

「……蜥蜴というよりカメレオンのようだ、ベンジャミン」

 

 

「ベンで良いって。へえ、そう思う? 良い勘してるな、お兄さん」

 

 

 

ベンは振り返って、俺が追いつくのを待ってくれた。

顎ひげを撫でてから、ベンは自身を指差した。

 

 

 

「オジサン、こう見えて隠れるのが得意なわけよ。この地域はオジサンにとって、庭みたいなものだからね。見失うなよ、うん?」

 

 

 

脅かすように言ってからにっこりするベンを見上げ、俺は木製の梯子に手を掛けた。

相手の身の熟しには、覚えがあった。

 

 

 

「てめぇ、隠密なわけか」

 

 

「……そんな物騒な人間じゃないんだけどなあ……」

 

 

 

ベンは苦笑した。

如何やら図星だったらしい。

 

十数人が手を繋いでも回り込めそうにない太い樹の幹に纏わりつくように、足場や縄梯子が点在し、他の樹と樹を通路のように繋いでいた。

 

ベンはその動きづらい足場を、いとも簡単に越えていく。

 

 

 

「オジサンは運び屋だよ。主に手紙とかだけどね」

 

 

 

白々しくも逃げるベンの口調に呆れながら、足場を踏んだ。

 

 

 

「だから密偵だろ、所謂」

 

 

「だーっ! ちょっとちょっと若人よ! 手紙配達なんて平和かつ日常的な仕事じゃないか! 勘弁してくれよ」

 

 

「その内容によるだろ、手紙なんてものは。どんなに隠そうと、てめぇの服に仕込まれてる武器、わかるぜ?」

 

 

 

俺が板へと飛び移るのを手伝いながら、ベンは溜め息をついた。

 

 

 

「……なかなかしつこいね、お兄さん。わかったよ降参。今はワーム博士の所でお世話になってるけど、昔は赤の支配者(アリス)や風変わりな帽子屋さんの文書を運んでた。だからってオジサンをそんなに苛めるなってば……隠して悪かったよぉ」

 

 

 

全て吐かせ尽くしたことを見て取って、俺はこの男を許すことにした。

 

表情を緩めてやると、ベンは縄梯子に手を掛けて、気を取り直したように言った。

 

 

 

「本当、手厳しいお兄さんだ。白兎さんが言ってた通りだな」

 

 

 

かなりの高さに目眩を覚えた。

 

俺は下を見ないようにしながら、縄梯子を登っていく。

 

 

 

「セピリアが俺を? ……何て言ってたんだ?」

 

 

 

聞きたいような聞きたくないような複雑な気持ちだったが、興味には勝てなかった。

尋ねればベンはあっさりと答えをくれた。

 

 

 

「頼りになる子だって。素直じゃないけど、って言ってたなぁ」

 

 

「後者は余計だ。あの小僧、言いたい放題だな全く……」

 

 

 

木製の足場に手をついてぼやくと、ベンはきょとんとした。

 

 

 

「んん? 小僧?? ……あ、白兎さんのことね。自分に素直な人だからねぇ、白兎さんの言葉は全部信用できるよ」

 

 

 

軽く笑った後、ベンは次の足場に飛び移りながら続けた。

 

 

 

「なあ、テオドア。君は白兎さんの友達なんだよな??」

 

 

 

聞かれた俺は、相手に従いながら応じる。

 

 

 

「友達っつうか……まあ、そうなんだろうな」

 

 

 

一体あいつが何処まで俺のことを説明したのか甚だ疑問だが、そう言われてしまえばそうなのだろう。

 

ベンは軽々と高みを越えた。

 

 

 

「そりゃ良い。友達ってのは最高だ! ……って、此処からがちょっと真面目な話。あのさテオドア。白兎さんのこと、よろしく頼むよ?」

 

 

 

唐突な言葉に、俺は思わず「はあ??」と間抜けな声を漏らした。

 

 

 

「何だそれ? 如何いう意……ッどわ!?」

 

 

 

ばきぃっと嫌な音がして、左足の板がなくなった。

脳から伝達される警告に、身体が芯まで冷える。

 

胃が浮くような奇妙な浮遊感の後、誰かの逞しい腕が俺の右腕を掴んで支えた。

 

ベンだった。

 

 

 

「こら、気ぃ抜くなよお兄さん。此処ら辺、何年も前から足場が脆くなってんだからよぉ~……胆が冷えたぜぇ、全く」

 

 

 

俺の身体は、顔を引き攣らせて笑う男に引っ張り上げられた。

 

ベンも相当焦ったらしい。

 

ばらばらと音を立てて落下する足場を目で追って、その高さに生唾を飲んだ。

 

 

 

「た、助かった、ベン」

 

 

 

何とか礼を述べると、相手は俺の胸に人差し指を突きつけた。

 

 

 

「あのな! 君を見込んで言ってんだよお兄さん。こんなとこで死なれちゃ困る。良いか、此処で約束してくれよ、白兎さんを見捨てないと」

 

 

 

俺は戸惑いながらベンの緑眼を見た。

 

 

 

「だから、如何いう意味だそれ?」

 

 

「……白兎さんは」

 

 

 

ベンは柄にもなく肩を落とした。

 

 

 

「白兎さんは良い人だ。良い人故に、色んな人間に利用されちまう。オジサンはあの人が心配なんだよ。あの人、今までたくさんの友達に裏切られてきたからねぇ」

 

 

 

でも、やっぱりそんな人達のことも笑って許すんだろうねぇ、なんてベンは苦笑した。

その様は誇らしげであり、諦め気味でもあった。

 

 

 

「……あいつが」

 

 

 

馬鹿なだけだろ、とは続けられなかった。

ずきりと胸の奥が痛んだ。

 

利用。

 

裏切り。

 

何故か、さっきの夢の影がちらついたような気がした。

 

 

師匠(せんせい)……。

 

国に利用され裏切られたあなたが……。

 

 

あなたの思いがどんなものだったのか、考えたくもない。

 

 

 

俺はベンを見た。

 

 

 

「てめぇにとってのセピリアって、一体何なんだ?」

 

 

「命の恩人だねぇ」

 

 

 

ベンはしみじみと言った。

 

聞けば、その密偵の仕事が失敗してボコボコにされていたところをあいつに拾われ、ワーム博士とやらのところで看病を受けたらしい。

以来、この男は博士のところにいついているのだという。

当時、人として扱われなかった自分を看病してくれたあいつの優しさが忘れられないのだ、とベンは語った。

 

ギシギシと鳴る足場を歩きながら、溜め息混じりに言った。

 

 

 

「どのみち、しばらくセピリアに協力しなくちゃならねえんだ。今更裏切るかよ。あいつの奇行の面倒を見るのは御免だが、友達であることくらいなら、別に構わない」

 

 

 

ベンは俄かに元気になった。

先程のしおらしさが嘘のようだった。

 

 

 

「そうかそうかぁ~! いやあ、良かったぁ~。さすがは白兎さんの見込んだ友達だ。……しかし素直じゃないと聞いて、焦ったよぉ。君が赤猫くんみたいにあっさり誓ってくれるか心配だったんだよねぇ」

 

 

 

聞き捨てならない言葉に、俺はぴたりと立ち止まった。

 

 

 

「……おい、ちょっと待て。今、赤猫っつったよな? 赤猫って……グレイにも同じこと言ったのか、てめぇ」

 

 

「うん」

 

 

 

このオッサン、悪びれることなく頷きやがった。

 

頭に帽子を押さえつけ、畳み掛けるように言った。

 

 

 

「つうかセピリアの友達全員に言ってんだな、今の話は??」

 

 

「うん!」

 

 

 

オッサンは良い笑顔で頷いた。

 

 

 

「あの人と友達になる奴は、全面的に協力すべきだからね。裏切るなんてもっての外だ。よって最近からオジサン、釘を刺すことにしてるのだよ」

 

 

「恩人に対する忠義か!」

 

 

「裏切ったら、オジサン怒っちゃうよ~?」

 

 

「過保護か!」

 

 

「白兎さん万歳!」

 

 

「恐怖政治か! ナイフ片手に言うんじゃねえッ!」

 

 

 

俺は思う。

 

五分前からの時間を返せ。

俺の貴重な時間を。

 

珍しく同情だの共感だのするんじゃなかった。

 

あいつの周りは変な奴ばっかだ。

変な奴しかいない。

 

そもそもあいつが変だ。

 

 

 

結局、この危ないオッサンにナイフで脅され、俺はほぼ強制的に白兎との友情を誓わされるのだった。