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「本気なのか、ラスト??」
少女は今し方、罪人の男が出て言った扉を見てぽつりと言った。
ラストは息をついて、執務室の肘掛け椅子に身を沈める。
「あの男の罪を帳消しにする話か? それとも、あの男が白兎を見つけられるかという話か?」
少女は考え込んだ後、口を開いた。
「両方」
「ふん」
ラストは失笑した。
その冷たい瞳は少しも笑っていない。
「あの男は餌だ、フロランタン。白兎と意思疎通できる人間は限られていたはず。……それをあの男、見事に覆してくれたわ。有り得ない。あの男は我々にとって危険だよ。……しかし」
ぎしりと椅子を鳴らして男は立ち上がる。
「逆にかなりの利用価値も有している。再度言うが、あれは餌だ。白兎を釣り上げるための餌。白兎は必ずあの男の元に引き寄せられる。もしあの男が我々の取り引きを破ったところで、私は別に構わない。あの男に逃げ場はないからな。捕らえて痛めつければ、白兎もあの男を助けに来るだろう」
「でもラスト」
エイダは身を乗り出した。
「テオドアはわたし達の取り引きに応じた。きっと白兎を連れて来るよ。そしたら……」
ラストは遮るように肩を竦めた。
「私はそうは思わないが……まあ仮に、本当に白兎を我々の元に引っ立てて来たとしたら、私はその愚かさを評価しよう」
エイダの前に立って、男は続ける。
冷酷な言葉を。
「苦しまないように、裁いてやろうではないか」
少女は苦笑した。
何処となく、諦めているようだった。
「そんなことだろうと思った。……あなたは怖いよ、ラスト・メルヴィス」
「所詮、魚釣りとはそんなものだ」
ラストは悪びれることなくそう答えた。
エイダはぬいぐるみを抱き締めて、首を傾げた。
「何故、白兎はあの男にこだわる?」
扉がノックされる音がした。
ラストは横目で扉を見て言う。
「白兎は時の支配者だ。偶然ですら必然に置き換えるのだよ、フロランタン。それは無意識だろうな。本能、と言っても良い。恐らくあの男は選ばれたのだろう。白兎の目的のためにな」
扉が開かれ、大柄な人物が入ってきた。
ラストは相手に言った。
「来たか、バンダースナッチ」
「よぉ、大将。こんな時間にお仕事かい? 骨が折れるねぇ……」
扉をくぐり、バンダースナッチは鋭い犬歯を覗かせて笑った。
相手は人ではなかった。
首から下は筋骨隆々の男であるが、その顔は狼を彷彿させる。
ラストは淡々と部下に労いの言葉を述べた。
「急に呼び出してすまなかったな」
バンダースナッチは濡れた黒い鼻をひくひくと動かして答えた。
「よせやい。別に俺が暴れたいだけだ。大将、俺ぁ何をすりゃあ良い?」
相手の言葉に、ラストは満足気に頷いた。
「ひとつ、もしもの時の保険として裏通りのグレイを捕らえておけ。ふたつ、テオドアが現れることを想定して、牢の周りを兵で固めろ。みっつ」
ラストの目が光った。
「白兎を連れていようといなかろうと、テオドアを捕えろ。ただし、生け捕りだ」
大柄な体を揺すって、バンダースナッチは豪快に笑った。
「はいよ大将。任せな」
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「くそ……あのヤロ―」
俺は走りながら悪態をついた。
グレイもその隣を走りながら、前方から来た兵士を鎌で薙ぎ払う。
「ま、そういうコト。だから良かったネ。白兎君を連れて来なくっテ」
「ますますこっちの世界が嫌になったぜ」
俺は銃を発砲して兵士を足止めすると、廊下を曲がった。
腕時計を見ると、三十分はとうに過ぎていた。
グレイと共に階段を猛烈な勢いで駆け上がりながら、焦って呟く。
「セピリアは一体何やってんだ。もう、とうに時間は過ぎてるのに……!」
グレイは息を弾ませながら、苦しげに言った。
「忘れたのかイ、テオドア君。『歪時廊』は時の狂った場所ダ。あっちの三十分が、ぴったりこっちの三十分なわけないだロ」
忘れてた。
俺は目の前の扉を蹴破る。
「それってヤバくねぇか??」
其処は塔の屋上だった。
平たい空間の向こうに、『霧の街(ミスト・タウン)』の夜景が広がっている。
街の灯火はまるで星空のようだった。
「止まれ、銃使い」
はっと振り返ると、屋上の入り口に兵士を引き連れたラストが立っていた。
すぐ後ろに控えている大柄な犬面の男がバンダースナッチだろうか。
目が回るような高さの塔の縁を背に、俺達はとうとう追い詰められてしまった。
吹き荒ぶ風が、俺の前髪を弄んでいく。
ラストは言った。
「白兎は如何した?」
俺は相手の顔を睨んで、はっと笑う。
「白兎? 白兎だと?? ……あいつはいない。見ての通りだ」
「この状況で笑えるか」
ラストは感心したように呟いた。
俺は言った。
「随分なことするじゃねえか議長サン。赤猫を捕らえて、兵士を使って、俺を脅かそうとする。一体てめぇら何をしようとしている? セピリアはてめぇらにとって何なんだ??」
ラストがこちらに一歩近づいた。
「兵士を使ったのは申し訳なかった。しかし、それはそなたが不法に城に忍び込んだからだ。我らとて身を守る権利がある」
「身を守るにしちゃあ、随分と用意の良いことダ」
グレイが皮肉めいて言った。
ラストが訝るようにグレイを見て、そしてゆっくりと微笑した。
何かを悟ったようだった。
「如何やらそなたの友人は、私の話を立ち聞きしていたようだな、銃使い。行儀の悪いことだ。彼の教育は如何なっている」
「裏切るてめぇに言われたくねえな。てめぇの親の顔が見てみてぇ……」
言うと、ラストの後ろにいた大柄な男が牙を剥いて唸った。
「貴様、ラストに向かって何たる無礼! 口を慎め!」
「いい、バンダースナッチ。言わせてやれ」
男を押さえ、ラストは溜め息をつく。
その態度に、はらわたが急速に煮え繰り返った。
一瞬のうちに引かれた引き金の数に合わせて、銃が火を噴いた。
ラストは平然と何かを振り払うように左手を動かす。
ラストの前に出現した半透明の赤い壁に当たって、銃弾が空中で停止した。
ラストは「ほう」と言って、自分の眉間と心臓の前で停止した弾丸達を眺める。
「素晴らしい腕だな、テオドア。……しかし、この状況で私は殺せぬよ。残念だったな」
「くっ……」
俺は銃を構えたまま後退りをした。
俺の踵が塔の終わりに触れる。
ちらと一瞥した先に、何もかも飲み込むような闇と、目眩がするほどの高さを見た。
隣を見ると、グレイも同じような状態だった。
弾丸を叩き落して、ラストは高らかに言った。
「さて、選ばせてやろう。このまま塔から転落して死ぬか、大人しく捕まるかだ。どちらでも好きな方を選ぶがいい」
俺は必死で辺りに目を走らせた。
何かこの状況を打開できるものはないだろうか。
何でも良い。
時間を引き延ばせるならば。
まだか。
セピリアは何をしているんだ。
俺は、冷たく光る男の目を見つめた。
相手も無表情で俺の目を見つめ返す。
しばらく風の音だけが響いていた。
否、……風の音だけではない。
目を閉じて耳を澄ませる。
この音は聴いたことがあった。
ピアノの音だ。
目を開き、銃を仕舞って言った。
「答えが決まった」
ラストは言った。
「どちらか聞こうか」
「てめぇは勘違いしてる」
相手の目を真っ直ぐ見て続けた。
「第三の選択肢を見つけたんだ」
言うが早いか、俺はグレイを突き落とした。
グレイは一瞬わけがわからないという顔をしたが、真後ろを見て納得したように目を閉じた。
落下するグレイが巨大な何かに飲み込まれる。
光と闇を一緒くたにしたようなそれは、さらに拡大を続けた。
暁の光が遥か向こうの水平線から差した。
背にその暖かさが沁みる。
俺は何もない虚空に両手を広げ、後ろに足を引いた。
傾く身体。
ラストの目が見開かれる。
「誰かその男を止めろ!」
焦ったように喚くバンダースナッチの声を最後に、俺は塔から落下した。
すぐ下には、異世界への入り口がぽっかりと口を開けている。
塔の縁から身を乗り出し落下する俺を見下ろすラストは、信じられないと言いたげな顔をしていた。
俺は笑った。
「てめぇの思い通りにはならない……」
俺の声が届いたのか、ごうごうと鳴る風の中でラストの顔が初めて悔しげに歪んだ。
「くっ……テオドア貴様ああぁああぁッ!!!」
ラストの叫び声が遠のき、ばくんと俺は『歪時廊』に飲まれた。
まるで糸を断ち切るかのように外の音も映像も消失し、辺りは等しく闇に沈んだ。