第三の択肢を見つけたんだ

 

 

1.裏切りのまたの名を

 

 

 目を開くと、見覚えのある白い世界だった。

 

 

 

(此処か)

 

 

 

初めてではないので、前のように動揺はしなかった。

 

 

上も下も右も左もない、白い世界。

 

 

耳元で歌うような声がした。

 

 

 

 

「時間とは水」

 

 

 

 

人魚の姉に囁かれたような感覚だった。

振り返るが、やはり誰もいない。

 

ふわっと泡のように言霊が弾けては消える。

 

 

 

「流れているうちは、澱まない」

 

 

「?」

 

 

 

俺が首を捻ると、人魚の妹の声が遠くで聞こえた。

 

 

 

「停止とは悲劇」

 

 

 

木霊のように、白い世界に鈴のような声が反響する。

 

 

 

「破滅への歩みを恐れ、希望さえ殺す」

 

 

「?」

 

 

 

何を言っている?

 

如何いう意味だ?

 

 

俺には何も、わからない。

白い世界は何も教えてはくれなかった。

 

唯、唯、彼女達は語る。

 

 

 

「白は時を支配した」

 

 

「白は時を狂わせた」

 

 

「破滅の未来に背を向けて」

 

 

「希望の過去を見出した」

 

 

「彼女は彼女を許さないわ」

 

 

「彼女は彼女を捕らえるでしょう」

 

 

 

意識の波が遠のくように声は崩れ、意味を成さなくなる。

目を閉じると訪れる一瞬の闇に、双子の声が重なるのを聞いたような気がした。

 

 

救われたくば、時を動かしなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はっと目を開けると、其処は噴水広場だった。

慌てて辺りを見回すが、人っ子ひとりいない。

唯、穏やかな噴水の音が鳴り響いていた。

 

辺りは暗い。

 

夜か?

 

腕時計に目を遣ると、真夜中をとうに過ぎていた。

俺は一体、どれくらい『歪時廊』の中にいたのだろう?

 

 

 

「今はそんなこと如何でも良いか……」

 

 

 

呟き、歩き出した。

重要なのは時間でなく状況だ。

セピリアが言うには、あと三十分しかない。

その間に、グレイを見つけなければ。

 

ちらと振り返ると、噴水の向こうに病院が見えた。

……あの少女はいない。

ちゃんと病院に戻れたなら良いんだが。

 

水中に飲まれる直前に倒れた少女のことを思い出し、一抹の不安が過ったが、首を振って病院から視線を外した。

俺の靴が石畳を叩く音が、夜の街に静かに響いていた。

 

 

裏路地をくぐり、閉店の看板を無視して扉を開く。

 

早足で中に踏み込み、言った。

 

 

 

「マスター!」

 

 

 

俺の大声に、カウンターでうつらうつらしていた初老の男が飛び起きた。

 

 

 

「なっ、如何したテオドア!? ……おまえ、三日前に城に連れてかれたんじゃなかったのか? 無事だったのか!?」

 

 

 

三日前?

 

 

俺はしばし混乱する。

 

 

三日前だと??

 

 

数秒の間に、俺が『歪時廊』で過ごした一日がこちらでは三日に変換されているのだと悟った。

 

顔を上げると、マスターが磨きかけのグラスをカウンターに放り投げて、こちらに走り寄ってくるのが見えた。

マスターは俺の両肩を掴んで揺すぶりながら、心配そうな顔をする。

 

 

 

「大丈夫か!?」

 

 

 

俺は自分より小柄なマスターの肩を、安心させるようにぽんぽんと叩いた。

 

 

 

「俺は大丈夫だ。それより、グレイはいるか? いつもみたいに地下の部屋でごろごろしてんのか??」

 

 

 

言う間に、安堵していたマスターの顔がみるみるうちに悲しげに歪んだ。

 

マスターは項垂れる。

 

 

 

「赤猫の旦那なら、城の連中に捕まっちまったよ」

 

 

 

俺は片足で床を鳴らして舌打ちする。

 

 

 

「クソッ……遅かったか!」

 

 

 

悔しさを堪え、視線を床からマスターへ移した。

 

 

 

「今何処にいるかわかるか!? 如何して捕まった!?」

 

 

「昨日のことだ」

 

 

 

マスターは呻くように言った。

 

 

 

「突然此処に軍服姿の奴らが押し入ってきて、赤猫の旦那はいるかと聞いてきたんだ。当然、唯事じゃないと思ってな……おまえが連れてかれた件もあるし……。匿おうとしたんだが、旦那の方が部屋から出て来ちまって……怒鳴ったんだ。『オレの縄張りでごちゃごちゃ騒ぐんじゃねェ!』って」

 

 

「あいつらしいな」

 

 

 

笑って良いものか呆れて良いものか困った。

何処までも自分を曲げないあいつの態度は、もはや感心の域に達している。

 

マスターも苦笑して頷いた。

 

 

 

「ああ、本当にな。お陰で店は荒らされずに、旦那だけ引っ立てられていったよ。全く……何処までお人好しなんだか、あの人は。今は城の地下牢に囚われているらしい。なぁテオドア、あんたと旦那で、また何かやらかしたんじゃないよな?」

 

 

 

マスターの鋭い問いに、うっと詰まる。

しばしの沈黙の後、諦めの笑みを浮かべ、言った。

 

 

 

「俺にもよくわかんねえよ……。でも、それは今に始まったことじゃないだろ」

 

 

 

溜め息をついた後、俺はきゅっと拳を握って言った。

 

 

 

「グレイを助けに行く」

 

 

 

マスターは頷いた。

 

 

 

「そう言うと思ったよ、テオドア。……これ、持っていきな。旦那の部屋にあったんだ」

 

 

 

マスターの手には、俺の銃とグレイの収納ケースに上着、傷に利くライフポットが一式抱えられていた。

それを受け取って、頭を下げた。

 

 

 

「ありがとう、マスター。……行ってくる」

 

 

 

言うが早いか、踵を返して駆け出した。

 

時間があまりない。

早くグレイを見つけなければ。

 

走る俺の背後で、マスターの「気ィつけて行けよ!」と言う声が聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

城の裏門近くで立ち止まり、弾む息を整えた。

暗がりの中、街灯に照らされた門と、其処に立つ兵士を見る。

結構、距離があった。

 

俺は物陰に隠れて、わざと音を立てた。

耳をそばだてると、兵士ふたりが話し込む声が微かに聞こえた。

 

 

 

「おい、今、向こうで物音がしなかったか?」

 

 

「え、気の所為じゃないか?」

 

 

 

俺は息を殺したまま、ポケットから銀貨を取り出して親指に乗せた。

 

向こうで声がする。

 

 

 

「ちょっと見てくる……」

 

 

 

兵士のひとりが近づいてくる足音がした。

あともう少しで相手が角を曲がるというところで、俺の親指が銀貨を弾き上げる。

 

銀貨はくるくると空中を回転落下した。

 

街灯の光を一瞬反射した後、銀貨は向こうの石畳に当たって、高い音を立てた。

 

 

 

「っ誰だ!?」

 

 

 

兵士があらぬ方を見て声をあげる。

 

闇は俺を覆い隠し、兵士の目に触れない。

 

兵士は怯えたようにきょろきょろした後、俺の投げた銀貨に近づいて、腰を屈めた。

 

 

 

「何だ? ぎ、銀貨……? うわッ……!?」

 

 

 

背後に回っていた俺は兵士を一瞬のうちに羽交い絞めにし、暗がりへ引きずり込んだ。

 

 

さて、数秒後。

 

 

 

「こんなもんかな」

 

 

 

兵士姿で俺は、ぱんぱんと両手をはたいた。

 

俺の目の前には、パンツ一丁で縄にぐるぐる巻きにされた兵士(だった男)がのびていた。

この程度なら、明日風邪を引くか、手刀を落とした首筋が多少痛むかくらいで済むだろう。

 

俺はアーマーを被って暗闇から出る。

素知らぬ顔で歩く俺の姿を見て、裏門で退屈そうに待っていた兵士が尋ねてきた。

 

 

 

「如何だった?」

 

 

 

俺は平然と答える。

 

 

 

「唯の猫だ」

 

 

 

肩を竦めてみせると、相手は期待外れと言いたげに門柱にもたれかかった。

 

 

 

「なーんだ」

 

 

 

俺は城を親指で示して言った。

 

 

 

「一応、報告してくる」

 

 

「やめとけよ。お偉いさんはそれどころじゃないだろうし」

 

 

 

猫だなんてさ、と兵士はお気楽に笑った。

俺は、気にせず門へ歩いた。

 

 

 

「どのみち、もうすぐ交代の時間だろう? ついでだよ、ついで」

 

 

 

俺の言葉に、兵士はあっさりと手を振って見送った。

 

 

 

「んじゃ、任せた」

 

 

 

俺は出来るだけ堂々と、しかし怪しまれない程度の早足で門をくぐり、場内へ侵入した。

 

地下牢の場所なら知っている。

と言うか、忘れることができない。

俺は二回、あの場所へ行ったことがあるからだ。

 

どっちの思い出も、最悪だった。

 

 

薄暗い兵舎を横切り、松明の間を抜ける。

芝生を踏み締め、冷たい石の建造物に辿り着くと、入り口に立っていた兵士が槍を構えた。

 

 

 

「何者だ。持ち場に戻れ」

 

 

「生憎、その必要はなさそうだ」

 

 

 

言いながら槍の柄を掴んで、そのまま相手の腹に叩き込んだ。

兵士はうっと呻いて、こちらを睨みつける。

 

 

 

「き……きさま……ッ」

 

 

 

居合いの声をあげて斬りかかってくる相手をかわし、俺は槍を振り上げた。

 

 

 

「良いから大人しく眠っとけ。時間ねぇんだよ」

 

 

 

頸部に重い柄の一撃を受け、兵士はそのまま泡を吹いて昏倒した。

 

 

俺はぽいと槍を捨てて、地下牢へと続く階段に踏み込んだ。