絶句し相手を見上げるなか、白兎の口角がニィと吊り上がった。

 

 

 

「テオ、グレイ、あの煩いのを僕が黙らせるから、時間稼いどいてね」

 

 

「は??」

 

 

「何をするつもりだイ、白兎君?」

 

 

 

俺とグレイの声を無視し、セピリアは紅の刀を片手に地面を蹴った。

高く高く跳躍し、あっという間に怪物の頭上にまで到達する。

 

ひと跳びであんな高さまで到達するなんて、あいつの周りの重力は一体如何なっているんだ?

そんな疑問が頭を掠めた時、怪物がセピリアの存在に気がついた。

 

ゆっくりと上を見上げ、まるで地獄の門のような口を開ける。

 

その時になって、ようやくセピリアが何をしようとしているのか悟った。

 

俺より先に、グレイが焦った声をあげた。

 

 

 

「馬鹿ッ! やめロ!」

 

 

 

セピリアはその反応を予期していたのか、楽しそうに手を振った。

 

 

 

「これの動き、止めといてよね」

 

 

 

暴れられたら厄介だもん、と白い子供は言った。

 

そして。

 

 

 

 

 ばくんっ

 

 

 

セピリアが怪物の口に消えた。

 

呆気なさで言えば、さっきとどっこいどっこいだった。

 

 

 

「「セピリア!」」

 

 

 

俺達の悲鳴は怪物の苦しげな呻き声にかき消えた。

 

 

 

「ムグッ!? ウガゥゥゥアアアァ? ガァ??」

 

 

 

嫌がるように頭を振り、怪物は自分の喉を蹄で掻く。

 

 

 

「ガ、グウ? グウウ!?」

 

 

「一体何をしているんだ、あいつは?」

 

 

 

銃を構えながら困惑して相棒に尋ねれば、グレイは眉を顰めて鎌を振った。

 

 

 

「セピリアが何かしたようだネ、テオドア君。とりあえず先程よりも静かだヨ」

 

 

「ガウゥゥ? アガアァ!」

 

 

 

苛ついたように怪物がこちらを見て、四つん這いになりながら口を開けた。

思わず目を丸くする。

 

その口の奥に、紅の光を見た。

 

 

 

「あれってセピリアの刀じゃねえか?」

 

 

 

豚の三連に並んだ奥歯と喉の裏壁に、紅の刀が引っ掛かっていた。

まるで魚の小骨のように、喉に刺さっているのである。

 

グレイが納得したように頷いた。

 

 

 

「成程ネ。あれでは大声も出せまいヨ」

 

 

 

怪物が頭を振って呻いた。

 

飛び出た眼球が、片方は俺、片方はグレイを捉える。

 

怒りに顔を反らし、豚が立ち上がった。

 

 

 

「ウオオオオオ!」

 

 

 

喉の奥で野太い声を出す豚を見て、怪物の後ろ脚に標準を合わせ叫んだ。

 

 

 

「動いてもらっちゃ困るんだよ!」

 

 

 

ばんばんと放たれた弾丸が闇色の重力を纏い、豚の蹄に当たった。

途端に白い十字架が出現し、蹄ごと地面にめり込む。

 

これでしばらく保つと良いが……。

 

そう思った矢先に、怪物が身体を左右に揺らし始めた。

続いて前脚を地面に打ちつけて暴れ回る。

 

後ろ脚を押さえている白い十字架が、みしりと嫌な音を立てて軋んだ。

 

何て馬鹿力だ。

 

額に流れる汗を拭っていると、グレイがひゅんひゅんと鎌を振った。

 

 

 

「赤猫の助けが必要かネ?」

 

 

 

グレイはそう言って、俺の答えを待たずに鎌の柄を地面に二度打ちつけた。

 

 

 

「『そして赤猫は舞う』」

 

 

 

地面から三つのダイスが湧いてきた。

そのまま宙に浮き上がったダイスを、グレイがひとつずつ鎌で叩いていく。

ダイスがくるくると回転を始めた。

高速で回転するダイスを眺め、グレイは右から順に叩いて止めた。

右が六、真ん中も六、そして左も…。

 

グレイは怪物を指差して言った。

 

 

 

「悪魔の鎖に縛られてしまえ。『悪魔の数字(デーモンズ・ナンバー)』」

 

 

 

怪物の足元から、天に向かって幾つもの鎖が噴き出した。

這うように纏わりつく鎖に囚われ、怪物の動きが止まる。

絡みついた鎖の端は、グレイの鎌の柄によって地面に穿たれた。

 

一気に押さえ込む力量が減り、俺は長く息をついた。

 

 

 

「気紛れなおまえが、珍しいことだな」

 

 

 

俺の言葉に、グレイは両腕を鎌に乗せて肩を竦めた。

 

 

 

「さすがのオレも、今回は少々本気サ。見た目じゃわからないかもしれないが、腹を立てているのだヨ、テオドア君。嘘にイカサマに……全部オレの専売特許ダ。勝手にこの化け物に取られちゃ敵わなイ」

 

 

「成程な」

 

 

 

苦笑したところで、怪物が身じろぎをした。

 

 

 

「ガッ」

 

 

 

金色の目をくわっと見開き、豚の怪物はわなわなと震え出す。

怪物の腹から白い光が漏れた。

まるで風船が膨張するかのように、怪物の腹が丸く膨らんでいく。

 

その様子を凝視し、怪物は驚愕したようにぎょろぎょろと目を動かした。

 

無論、鎖と十字架に囚われて身体は動くこと叶わないが。

 

グレイは右しかない目を細めて言った。

 

 

 

「残念ながら、時間切れだヨ」

 

 

 

ばああんっと破裂音がして、緑色の豚は幾千幾万もの光の粒に変換され、消失した。

 

ふわふわと余韻のように光の雨が降るなか、どさりという音と共に白い子供が草原へ仰向けに転がった。

その頭のちょうどすぐ脇に、空中をくるくると回転落下してきた紅い刀がぶっ刺さった。

 

俺は銃を収めて駆け寄る。

 

 

 

「小僧、無事か!?」

 

 

「この通り、僕は全っ然無事じゃないよ。うえ、豚さんに食べられるなんて兎としてはショックだよ、うえ」

 

 

 

セピリアは元気にそんな文句を言い、そして手の中の歯車を翳してにっこりした。

 

 

 

「でもほら、歯車は無事☆」

 

 

 

俺はやれやれと首を振って呟いた。

 

 

 

「無茶しやがって……」

 

 

 

手を差し出してやると、相手はきょとんとした。

 

が、それも一瞬のこと、すぐに意味を理解して嬉しそうな顔で言った。

 

 

 

「今回は立場が逆だね」

 

 

 

俺の手を掴んで起き上がるセピリアに、帽子を押さえつけながら答える。

 

 

 

「言っとくが、今回だけだからな」

 

 

「いやぁ、素晴らしき友情が芽生えたネ、テオドア君。珍しいこともあるものだナ」

 

 

 

振り返れば、赤猫がまだ鎌の上に両腕を乗せたままにやにやしていた。

さながら親心丸出しの昔馴染みのよう。

 

俺は呆れた。

 

 

 

「からかうな」

 

 

 

釘を刺すように言っても、やっぱりグレイは腕に顎を置いたまま口角を上げるばかりだった。

 

全く、こいつは……。

 

 

チカッと歯車が点滅した。

 

俺はこの現象を一度見たことがある。

が、グレイは初めてらしく、にやにや笑いを引っ込めて興味津々にセピリアの方へ身を乗り出した。

セピリアがフードからあの時計を引っ張り出した。

 

こちらも仄かに白く輝いている。

 

 

 

「これでまたひとつ。……もっと頑張んなきゃ」

 

 

 

セピリアはそう呟いて、ふたつを引き合わせた。

セピリアの瞳の中に光が映り込むのを見た。

 

時計と歯車がぶつかり合った瞬間、鐘の音のような明るい音が響き、辺りが真っ白にホワイトアウトした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眩しさに顔を庇っていた腕を下ろせば、其処は白い世界で。

 

上も下も右も左もない、白い世界で。

 

 

 

「?」

 

 

 

辺りを見回していると、微かな声が聴こえた。

あの赤ん坊の声だった。

唯、あの傲慢さは何処へやら、とても静かな声だったけれど。

 

 

 

「誰しも幸せを探して、この世に生まれ落ちる……」

 

 

「?」

 

 

 

声のした方を見ても、誰もいない。

 

しかし背後でまた声がした。

 

 

 

「しかしながら幸せとは、持つこと自体、不幸の始まりでちゅよ。持てば奪われ、消費され、失われる。その残酷さを知り、白兎は逃げた……」

 

 

「??」

 

 

 

如何いうことだ?

勢い良く後ろを振り返っても、目の前は真っ白い。

 

白。

 

 

白い。

 

 

白兎??

セピリアのことか?

 

何を言っているんだ?

 

 

 

「白兎は時間から逃げた……」

 

 

 

遠のくように、赤ん坊の声は消えた。

俺の本能が、遠ざかっているのは声ではなく俺自身の方なのだと告げる。

 

俺は、この奇妙な世界から遠ざかる。

 

俺の知っている世界へ、帰っているのだと。