音の絶えた世界はまるで
生ける者を拒むかのよう
6.静寂の森へ
俺達の話を聞いて、セピリアはころころと笑った。
思えばこいつ、ずーっと笑ってる気がした。
「信用ないなぁ、僕」
可笑しそうにそんなことを呟くセピリアに、俺は肩を竦めてみせた。
「当たり前だろう」
こいつと出会ってから俺の人生はしっちゃかめっちゃかだ。
まあ、人生と言ってもこいつと出会ってまだ一日も経っていないのだがしかし。
セピリアは溜め息をついた。
「つくづく物好きな人達だよね。……ま、良いや。ついて来るなら、僕を見失わないでね。ちょっと急ぐからね」
セピリアは紫色のオーラを放つ扉の取っ手を捻った。
カチリと音がして、それはするりと開く。
セピリアは例の「ほりゃっ」と言う掛け声と共に再び消えた。
グレイも奴の掛け声を面白がって「うりゃっ」と言って、扉の中に飛び込んでいった。
「……」
リズムの流れを読んで、俺も扉をくぐってみる。
「……と、とりゃっ?」
あんまり深い意味はないようだった。
誰もいなくなった『歪時廊』でゆっくりと、音もなく扉が閉まった。
真っ暗な視界から、徐々に何かがフェードインしてくる。最初は薄ぼんやりと霞んだものだったが、そのうち緑の色調が強くなって、気づけば俺は森に立っていた。
俺が立っているのは、木が疎らになった小さな広場みたいな場所だ。
踏み締める芝生は思いの外、柔らかかった。
辺りに人はいない。
「何で俺だけなんだ。あいつらは如何した?」
見回しながら呟く言葉は、鮮やかな快晴の空に吸い込まれて消えた。
良い天気だ。
鳥の囀りが日の麗らかさを割り増しにして、……其処は平和、と呼ぶのがぴったりだった。
「おにーさん」
唐突に背後でそんな声がした。
びくりと振り向けば、不機嫌そうな赤ん坊がいた。
……は?
赤ん坊??
「おにーさんってば。ぼくちゃんのドードーを踏み潰しといて返事もないでちゅか?」
言われて気づいた。
柔らかい芝だと思っていたのは、黄緑色のダチョウだったのだ。
俺の固いブーツの踵が腹にめり込んで、昇天しかけている。
「おわっ!? わりぃ!」
慌ててダチョウから降りて、相手と少し距離を取る。
改めて見ると、相手は本当に赤ん坊だった。
ふくふくとした見た目なのに、しっかりと両の足で立っている。
赤いシャツにベルトズボン、山高の麦藁帽子だ。
相手は俺のことなどもう眼中にはないのか、ダチョウの首を掴んで一生懸命揺すぶっている。
「プ・エカウ(起きろよ)ー! プ・テッグ(起きろってば)ー!」
赤ん坊はわけのわからない言葉を叫んでダチョウを起こそうとしているが、生き物の命とは儚きものかな、ダチョウはあらぬ方向を向いたまま気絶していた。
……何だか、申し訳ない気がした。
「あ、あ~っと……なぁ?」
おずおずと話しかけると、赤ん坊はダチョウに心臓マッサージをしながら素っ気なく反応した。
「何だ、おにーさん。今、忙しいでちゅよ。黒い服の余所者が、ぼくちゃんのドードーを駄目にしてしまったんだから」
「何気に嫌味な赤ん坊だなテメェ……」
こんな赤ん坊が世の中にいるなんて考えたくもなかったが。
世界中の若妻も吃驚だ。
俺は気を取り直して言った。
「俺の連れを見なかったか? ひとりは赤髪の背の高い男で、もうひとりは白い兎フードのガキンチョなんだが」
聞くと、急に赤ん坊はびくりと反応した。
素っ気なく、ではなくちゃんとこちらを見たのだ。
「白い兎フードだって? そ、そ、その人の名前はセピリアでちゅか?」
「ああ。よく知ってんな」
「銀髪に紫眼の子供でちゅ!?」
「ああ。そうだな」
「時計を持ってまちたかっ!?」
「ああ。そういや持ってたな」
「そりゃ大変だ……!」
赤ん坊はさっと顔色を変えて、地面を蹴った。
「あっ、おい!」
止める間もなく、赤ん坊は現実じゃ有り得ないようなスピードで走っていってしまった。
呆然と見送るなか、ちょこまかと短い足を動かしているのが遠くに見えた。
思えばこちらの世界の住人は、少しも俺の話を聞いてくれない。
まあ、あの様子では、白いあいつの話は朗報だったに違いないが。
「グぅーッ、グぅーッ」
振り返ると黄緑色のダチョウ……ドードーだったか?
そいつがいつの間にか傍に付き添っていた。
腹の靴跡(もちろんつけてしまったのは俺だが)は薄れている。
そいつは俺よりも頭ひとつ分、飛び抜けていた。
首が細く、羽毛は柔らかい。
俺はそいつに語りかけた。
「さっきは悪かったな。踏み潰す気はなかったんだ」
そいつは一声鳴いた。
「クワッ」
「おまえの主人、行っちまったけど良いのか?」
「クワッ、クワッ」
黄緑色のドードーはくわくわ言うだけだった。
俺は快晴の空を見上げて、うんざりと息をついた。
早くセピリアを見つけなければ。
あのガイドがいないと、このヘンテコな世界の旅は、迷子と混沌という文字に変換されてしまう。
歩き出すと、ドードーもついて来た。
一歩進むと、後から一歩ついて来る。
三歩進めば三歩。
十歩戻れば深緑の丸い瞳で俺を観察した後、やっぱり後ろを十歩ついて来た。
……これは面白い。
「おまえな……」
「グぅーッ」
「ぐぅ、じゃねえよ。あの赤ん坊は逆方向に走っていったぞ。良いのか追わなくて?」
「ぐぅーん」
追わなくて良いらしかった。
俺は周りの森に目を向けた。
疎らに茂った木々、その向こうに小道が見える。
「まぁ、……良いか。何とかなるだろ」
俺は変なもの引力を持っている(らしい)ので、歩き回っていればセピリアにも時計の部品にも出会う気がした。
小道を踏み締めると、視界の明度が落ちた。
生い茂る枝が日を遮り、足元に不規則な光の模様を描く。
さわさわと風が葉を撫でるたびに、木漏れ日が道の脇に無造作に生えた花を鮮やかに映し出した。
「まるでさっきとは大違いだな」
前の疑似『霧の街(ミスト・タウン)』には凶悪過ぎるぬいぐるみ共がうじゃうじゃ出て来たのに、此処はまるで静かだ。
聴こえていた鳥の囀りもない。
虫の羽音もない。
何の気配もない。
頭の中に『静寂の森』という文字が浮かんだ。
……此処もまた『異常』があるってか……??
小道は緩やかに森を進み、やがて二本の木を門とするかのように向こうが明るくなっていた。森を抜けるまで、約十分といったところか。
短い散歩コースだった。
「クエッ」
後ろにいたドードーが何故か嬉しそうに鳴いて、俺を追い越していった。
そのまま森の外という光の中に飛び込んでいく。
ドードーが見えなくなった後、光の向こうで「あー! ドードーだぁ!」というお馴染みの声が聞こえた。
俺も、小道からその光の中に足を踏み入れる。