昼の蝶に牙はない

      夜の蝶に悲はない

 

 

4.毒蛾との対話にご用心

 

 

『玉座の間』は静かだった。

 広い空間に俺とセピリアの足音だけが響いている。

玉座に座る人物は動かない。

 

唐突に俺達の後ろで、扉が音を立てて閉まった。

 

 

 

「セピリア、如何してかしら」

 

 

 

金髪を揺らしながら王女は言った。

陶器でできた西洋人形などではない。

姿格好は同じものの、関節もなければ、硝子玉の瞳でもない。

 

病的に白い顔を少し傾けて、王女は続ける。

 

 

 

「如何して悪い方の道を選んでしまうの。私と一緒にいて頂戴……時計なんて壊してしまいましょう? ね?」

 

 

 

長いドレスの裾を引きずりながらこちらに歩いてくる王女は、泣いているように見えた。

否、あまりにも生気のない白い顔は、悲しそうに見えるのかもしれない。

 

一方、セピリアの表情は、そろそろ苛立ってきている。

 

 

 

「やめてくれないかなぁ……『歪み(ディストーション)』が僕の友達の口調を真似るのは。王女はそんなこと言わない。僕がやらなければならないと言ったことを、やめさせようとはしない」

 

 

「セピリア私、貴方を助けたいの。時計も、その人間も、貴方を騙しているだけ。さあ、こっちにおいでなさい」

 

 

 

両手を広げる王女に、セピリアはきっぱりと首を横に振った。

 

 

 

「キミは『歪み』だ。王女じゃない」

 

 

 

そのまま何の躊躇いもなく抜刀する。

鈍い紅に、王女の姿が映り込んだ。

 

 

 

「茶番は飽きたよ。姿を見せな」

 

 

 

こいつでもこんな冷たい目ができるのかと、妙なところに感心していると不意に不自然な声が耳に飛び込んできた。

 

耳障りな声。

 

くすくすと笑う声。

 

 

 

「……優しく迎えてあげたのに、セピリア。愚かね。貴方もどのみち、私と同じく『歪み』の一部になるのよ。如何抗っても、ね」

 

 

 

相手の顔から、先程の同情を誘う表情が消えていた。

王女の姿の下に、悪意の塊のようなものを見た。

 

そうか、と悟る。

 

西洋人形を見た時の嫌悪感は、これだったのか。

 

王女の首がぐりっと俺に向く。

 

 

 

「……良い匂い……美味しそうな匂いだわ。おまえに用はないの。迷い込んだ愚かな餌は、此処で消えると良い」

 

 

 

王女の口角が異様なほど、吊り上がった。

ばきばきという音と共に、王女の背中から毒々しい蛍光色の羽が生える。

 

その姿は、まさに蛾だった。

 

羽搏くたびに、むせ返るような鱗粉が撒き散らされた。

 

 

 

「テオ、来るよ」

 

 

 

今更、と言いたくなるようなタイミングでセピリアはそう言った。

もうこれ、ホラーの類か何かだろ。

まじでお家に帰って、速攻で布団に入って寝てしまいたい。

羽についた四つの目玉がぎょろぎょろとあらぬ方向へ向くのを見て、切にそう思った。

 

 

 

「おえっ、いつから蛾っつうのは肉食になったんだ」

 

 

 

言いながら銃をホルダーから引き抜く俺に、セピリアは首を傾げて律儀に応じた。

 

 

 

「一秒前くらいかな?」

 

 

「最悪だ……」

 

 

 

呟いた後、俺は立て続けに発砲した。

巨大な蛾は、図体に似合わない速度でそれをかわす。

 またもや濃い黄色の霧が飛散した。

その香りが、鼻腔を強く刺激した。

 

思わず腕で顔を庇う。

 

恐らく微量の毒が含まれているのだろう。

 

腕を下げた途端、大きな影が空中で旋回するのを見た。

急降下してきた蛾に反応しきれずに、俺の身体はいとも容易く浮き上がる。

 

俺はそのまま『玉座の間』の白亜の壁に叩きつけられた。

 

 

 

「いっ……て」

 

 

 

したたか頭を打ちつけた俺に毒蛾が迫るなか、紅い刀が介入する。

 

 

 

「あららのら。情けないねテオ、大丈夫かい??」

 

 

 

確かな手捌きで片羽を切り落としたセピリアが、こちらを振り返り言った。

 

……心底嫌そうに、刀についた鱗粉を払い落としながら。

 

俺は、床に転がった帽子を拾い上げながら答えた。

 

 

 

「大丈夫なわけあるか。この世界の化け物に俺の銃は全然利かないみたいだしな。圧倒的不利だ」

 

 

 

俺の言葉に、セピリアはうんと頷いた。

 

 

 

「そりゃ、だってキミの銃は普通の銃だからね。当たり前だよ」

 

 

 

普通じゃない銃もあんのかよ此処は。

セピリアは醜い叫び声をあげる毒蛾を見遣った。

 

 

 

「虫相手には魔法が一番だって思うよ。虫は虫なりに嫌いな魔法があるからね。…………因みに僕、虫、大嫌いなんだけれども」

 

 

「嫌いな魔法??」

 

 

 

俺の声を、幾百もの羽搏き音がかき消した。

見れば『玉座の間』は小さな蛾の群れで埋め尽くされている。

 

気色悪いどころの話ではない。

 

蛾には本来ないであろう牙を剥き出したそれらは、狼の群れよりもたちが悪かった。

 

 

 

「うっ……わ……!」

 

 

 

セピリアの顔色が一気に悪くなった。

街で玩具を相手にしていた時の余裕など、微塵も見られない。

その顔にはありありと『虫嫌い』と書かれていた。

 

巨大な毒蛾は、幾百もの蛾達に叫び声で命令する。

けしかけられた蛾達は、俺達を喰らおうと一斉に群がってきた。

 

虫が接近するのに比例して、セピリアの顔が引き攣った。

 

 

 

「うわうわヤダヤダッ、やだ無理! 『大火柱(リエスマ)』あぁぁあああああぁあッッッ!!!」

 

 

 

羽搏きに負けない大音量でのセピリアの声。

 

絶叫にも近いそれが『玉座の間』に響き渡るなか、噴水広場で見たあの炎の壁が瞬時に現れ、多量の虫を焼き払い始めた。

前とは比べものにならないほど、手加減抜きだ。

 

……正直、見てる俺も怖いくらいだ。

余程、虫が嫌いなんだな、コイツ。

 

巨大な蛾もそうでない蛾も、一様に熱気から身を退く。

 

その様子はまるで嫌々をしているようだった。

 

思わず納得する。

 

虫は火に弱い。

それをまさに実証してくれたわけで……。

 

そうと決まれば、実に話は早かった。

 

 

 

「『炎よ(エルドガ)』!」

 

 

 

俺の前で火の球が爆発し、数匹の蛾が羽を焦がされて落ちた。

呆気ないほど、低レベルな害虫駆除だ。

 

もし俺ひとりだったなら、などと思う。

 

不本意ながら、……冷静にこんな打開策など打てるはずもなかっただろう。

……恐らく俺も今し方、虫が苦手になったし。

 

 

 

「セピリア! セピリア! 愚カナ子、死路兎ガ!」

 

 

 

巨大な蛾が空中で旋回した。

切り落とされた片方の羽の付け根から、緑色の体液が噴き出す。

 

身体に刻まれた人の顔が、泣いているように見えた。

 

 

 

「貴方モ歪ンデシマイナサイ……ネェ、せぴりあ。如何シテ私達ト一緒ニイテクレナ、イノ? 寂シイ……寂シイ、如何シテ? 如何シ……??」

 

 

「ごめんね王女」

 

 

 

セピリアは……何故か謝る。

そちらに目を遣ると、セピリアは紅の刃を頭上いっぱいに振り被っていた。

 

 

 

「如何しても僕はキミ達と一緒にいれないの。ごめん。許してなんて、……言わないよ」

 

 

 

言えないよ、と白いそいつは静かに笑った。

その表情は優しげで儚げで、そして悲しげだった。

 

奇声をあげて、蛾は白いそいつに向かって急降下した。

 

蛾に在らざるような牙を剥き、憎しみの咆哮をあげ。

 

セピリア(そいつ)を、ずたずたにしたいと。

 

セピリアは何の表情の変化も見せず、告げる。

 

 

 

「また繰り返すのかもしれない。でも、……ちゃんと繰り返すたびに、助けるから」

 

 

 

ずばりと何とも景気の良い音を響かせ、そいつは巨大な蛾を頭頂から尾先まで真っ二つに叩き斬った。

蛾の身体が虫のそれと同じくらいに脆かったのか、それともこの白い変人の腕が極上に強かったのか。

 

否、それ以前に疑問は募る。

こいつは先程から、一体何を言っているのだろう。

 

俺はこいつのことを何も知らない。

化け物相手に「ごめん」だの「助ける」だのと。

 

俺にはこいつが、わからない。

 

そんな俺の気持ちなど露ほども知らず、先程の鋭い表情なんて何処へやら、セピリアは気楽そうに刀を仕舞った。

こいつの中で、好戦的な何かは終わっていたらしい。

張り詰めた空気なんて跡形もない。

 

 

 

「う~ん、よしっ! 今日も僕の腕前は上々だゾ☆」

 

 

 

ころっと子供のように笑ってそいつがふう、と息をついた時だった。

 

頭上で白い光が爆発した。

本当に何の脈絡もなく、いきなりのことだ。

 

俺は見事に声をあげた。

 

 

 

「ぅあッ!?」

 

 

 

自分の頭の上で唐突に何かが出現して、驚かない奴はいない。

俺だって人の子だ。

急に現れやがったそれに、反射的に銃を向けた。

 

と、隣で誰かがぷっと吹き出すのが聞こえた。

 

もちろん、白いこいつに他あるまい。

 

 

 

「あはは、テオってばビビりん。ウケる。驚いちゃってカーワイイ」

 

 

 

……赤面したのはいつ振りだろうか。

 

 

 

「なッ、煩い! てめぇ、何が可笑しいっつうんだよ! あ!? ニヤニヤしてんじゃねえぞ小僧ッ、銃ぶっ放されてぇのか!?」

 

 

 

セピリアはと言うと、俺の声にフードについたウサ耳をわざとらしく塞いでいる。

 

 

 

「わあ、煩ーい。テオの方が煩いんだよぉ。僕ってば、キミのこと褒めてんだよ? 可愛いは褒め言葉なのです」

 

 

 

何が褒め言葉だ、ふざけやがって。

大体、フードのウサ耳を塞いでも自分の耳ではないわけだから、結局のところ煩いのではなかろうか。

そう突っ込みたいのを、数回の深呼吸で如何にか体内に抑え込む。

 

セピリアが「あー!」などと嬉しそうな声をあげた。

 

 

 

「歯車めっけ! こんなトコに在ったんだねえ」

 

 

 

セピリアは続けて、俺に向かってにっこりと無邪気に笑いかけた。

 

 

 

「キミのお手柄なんだよ、テオ。キミが歯車を拾って迷子ちゃんになってくれたから、もうひとつの歯車も見つかった。早く仕事が片づいちった!」

 

 

 

改めて白い光に目を向けると、そいつは磁石にでも惹かれるように寄ってきた。

 

俺が拾ったのよりも、少し大きな歯車。

 

如何やら俺はヘンテコなものに好かれてしまうらしい。

 

 

そいつを引っ掴んで、少々荒くセピリアに突き出してやった。