まもなく……というか直後、セピリアの奇妙な予想は見事的中した。

大扉をくぐりホールへと入った俺達を出迎えたのは、幾百もの蝋燭の光に照らされた物静かな甲冑と、二階へ続く階段だった。

ホールにも階段にも赤い短毛の絨毯が敷かれ、天井には巨大なシャンデリアが輝いている。

 

あまりに見知った世界と酷似した光景に、ほうと息をついていた時だ。

 

 

かつっ かつっ かつっ

 

 

ヒールだろうか、誰かが歩いてくる音が正面の階段から聞こえてきた。

街中至るところにいたあのぬいぐるみ達とは一線を隔した存在であることは確かだ。

 

 

 

「街が騒がしいと思えば、お客様ね」

 

 

 

きりきりという奇妙な音が聞こえ、暗闇からその誰かは現れた。

俺達は揃って階段を見上げる。

 

現れたのは予想外に小さい人影だった。

セピリアとそう変わらないだろう。

 

セピリアは平然と言った。

 

 

 

「オハヨぉ、王女。元気かい?」

 

 

 

『王女』??

 

俺は訝しむ。

本物の『霧の街(ミスト・タウン)』には城こそ在るものの、王族など存在しない。

聞き慣れない響きに戸惑った。

 

『王女』と呼ばれた人影は、カーブを描く階段をかつかつと下りながら答えた。

 

 

 

「ええ、私は元気よ。けれども『歪み(ディストーション)』がね、城を侵食して大変なの。嗚呼! 嗚呼セピリア! 会いたかったわ!」

 

 

 

俺の前を光速で走り抜けたその人は、セピリアに勢い良く抱きついた。

まるで俺の存在など見えていないかのようだった。

ふわりと金糸のような髪が揺れる。

 

俺はすっと目を細めて、セピリアの首に腕を回した王女を観察した。

 

王女は西洋人形だった。

 

否、西洋人形が王女だなんて言っているのではない。

何と言えば良いのか……彼女の見た目そのものが西洋人形のような出で立ちになっているのだ。

 

金髪は巻いてあり、軽くウェーブがかっている。

が、その金髪はよくよく見れば作りもののそれだ。

加えて、白過ぎる陶器の腕には所々に関節が窺える。

先程からきしきし言っていたのはこれだったらしい。

陶器の下には金属の骨組みがあるらしく、二、三本なくなった指の部分から、その骨組みが覗いていた。

 

何故か、軽い嫌悪感を覚えた。

 

 

 

「王女、苦しいよ。僕、この城にある時計の部品を取りに来たんだ。何処に在るか知らなーい??」

 

 

 

王女を宥めながら、セピリアはそう尋ねた。

セピリアを解放した王女は、セピリアに会えて感極まった様子から一変、急に顔を曇らせた。

 

 

 

「そんなもの、此処にはなくてよ」

 

 

「ないの? おかしいね。それじゃ、如何してこんなにこのお城は歪んでいるのぉ??」

 

 

「私も困っているのよセピリア。ねえ、歯車なんて探すべきじゃないのよ。あれは魔術師の陰謀よ。あんなものがあるから、『歪み』を引き寄せてしまうのでしょう?」

 

 

 

如何やら王女は、魔導師に対し、あまり友好的ではないらしい。

俺は会話に加わりもせず思う。

セピリアはふうと息をついた。

 

 

 

「探して時計を元に戻せば『歪み(ディストーション)』は消えるよ。ね、テオ」

 

 

 

セピリアはそんなことを言って、俺の方を向いてにっこりする。

 

如何いう話の振り方だよ。

 

急な同意要求に面食らいつつ、口を開いた。

 

 

 

「少なくとも、俺は元の場所に戻れるな」

 

 

 

その言葉に、王女は今気づいたと言わんばかりに俺を眺めた。

 

 

 

「あら、……どなたですの? 気がつきませんでしたわ」

 

 

「テオドア」

 

 

 

俺は素っ気なく答える。

どなたも何も、さっきから俺はこの場に存在していたのだが。

 

余程、セピリアのことしか見えていなかったらしい。

 

王女はいよいよ硝子でできた深い青の瞳を不満げに瞬かせた。

 

 

 

「そんな人、知らなくてよ」

 

 

 

俺も眉間に皺を寄せる。

 

 

 

「初対面だから、そりゃ当たり前だがな」

 

 

「セピリア!」

 

 

 

王女は叫んだ。

 

 

 

「この人間は余所者ね!? そうなのねッ!?」

 

 

 

セピリアは当たり前のようににこりと笑った。

 

 

 

「ヨソモノだね」

 

 

「まあ、何て恐ろしいの! セピリア、貴方この人に誑かされて歯車なんか探しているの!?」

 

 

「誑かしてねーよ。むしろ被害に遭ってんのはこっちだ」

 

 

「お黙り! セピリア、目を覚ますのよ。……よもやこんな奴を信用して……」

 

 

「僕、テオのこと信用してるよ」

 

 

 

にこにこ。

 

あっさりとセピリアはそんなことを言った。

 

俺と王女は全く同じ表情で、まじまじと白い変人を見る。

 

出会って僅か数時間ほどの付き合いで俺を信用するなんて言う奴、生まれて初めて見たが。

こいつの思考回路は一体如何なっているのだろう。

 

王女は口をぱくぱくするが、声が出ていない。

俺と同様、絶句しているらしい。

 

そんな俺達に構うことなく、セピリアは話を戻した。

 

 

 

「ねぇ王女、時計の部品は何処かなあ?」

 

 

 

我に返った王女は首を横に振った。

 

 

 

「知らないわ。セピリアお願い……時計なんて持っていちゃ駄目。そんなもの直したって、如何にもならないもの……」

 

 

 

懇願する王女に、セピリアはきっぱりと言った。

 

 

 

「僕は時計を直さなきゃならないんだ。これだけは譲れないよ。このお城にはないの??」

 

 

「そんなものありはしないわッ! 歯車なんて、は知らない!」

 

 

 

一連の会話を聞いていた俺は、不意に口を開いた。

 

 

 

「なあ、ちょっと良いか?」

 

 

 

ふたりが俺の方を向く。

俺はまずセピリアに聞いた。

 

 

 

「時計の部品って、何があったっけか?」

 

 

 

セピリアは指折り数え始めた。

 

 

 

「歯車が百八つ。針は三つ。文字盤が十二個だよ」

 

 

 

俺は続いて王女に顔を向ける。

 

 

 

「おまえ、この城に歯車はねえんだな??」

 

 

 

王女はおどおどと俺を見上げた。

 

 

 

「そうよ。歯車なんて……ない」

 

 

「さっきから思ってたんだが、セピリアは『時計の部品を探している』としか言ってないよな?」

 

 

「……」

 

 

「何でおまえは『歯車』なんて言うんだろうな」

 

 

「……」

 

 

「王女ぉ……??」

 

 

 

セピリアは不思議そうに、固まってしまった王女を見る。

 

俺は首を傾けて言った。

 

 

 

「在るんだな、歯車??」

 

 

 

がくがくと唐突に王女の身体が震えた。

尋常じゃない動きだ。

 

 

 

「ダ……め……ダメヨせぴりあ……ダッテ、時計ヲ持ッテイタラ……ワタ、ワタクシ貴方ニ近ヅ……近ヅケナ、……近、ちか、チか」

 

 

 

ぐりぐりと硝子の目を動かして、王女は不協和音を奏でる。

 

ガシャンと王女がセピリアに掴みかかろうとした。

とっさに、というか反射的に、手が銃へ伸びていた。

 

銃弾によって陶器が粉砕される音がホールに響く。

 

 

 

「テオ、後ろ!」

 

 

 

セピリアの声に従って真後ろに銃を乱射すると、耳につく金属音と共に何かが床に倒れた。

 

見れば、さっきまで静かだった甲冑ではないか。

 

まるで西洋人形が白い砂塵となったのを合図とするかのように、壁に並んでいた甲冑達が動き出していた。

手に手に剣だの槍だのを持っているから、街の玩具達と可愛さは同レベルといったところだ。

言うなれば、笑えない状況だった。

 

 

 

「おいおい、絡繰り屋敷じゃねえんだぞ」

 

 

 

セピリアもいつの間にか抜刀している。

 

 

 

「ねーねーテオ、絡繰りナントカって何だい?」

 

 

「てめぇ、余裕だな……! 危機感って意味、知ってるか!?」

 

 

 

叫ぶ俺に、セピリアは嬉しそうに言った。

 

 

 

「あ、それ知ってる! どっかーん、ってカンジの奴でしょ?」

 

 

 

セピリアは刀を振り上げて「『雷鳴よ(ヴォロド)』!」と唱えた。

ぱちちと紅の刃に青白い光が灯る。

火花をあげて甲冑の群れが薙ぎ倒された。

 

視界が開ける。

 

何の前振りもなしに、セピリアが俺の手首を引っ掴んだ。

 

 

 

「さ、こっちだ!」

 

 

 

俺はずっこけそうになりながら、相手に引きずられる。

 

 

 

「こっちってどっちだッ!」

 

 

「こっちはこっちさ。そっちだ!」

 

 

「だあぁッ! そっちってどっちだ、変えんな馬鹿ッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白いこいつのウサ耳が跳ねるのをやめ、鈴の音が消えた時には、俺はすっかり息を切らしていた。

セピリアに腕を引っ張られて走り続けたのはごく短い時間だったのに、脇腹が痛み、汗が噴き出した。

心臓が凄い速さで肋骨を打っている。

 

一方、セピリアは汗はおろか、息切れひとつしていない。

 

……改めて体力の差を思い知った。

 

喘ぐ俺に気を遣って、こいつは止まってくれたらしい。

 

 

 

「だいじょーぶ、テオ? もう限界??」

 

 

 

下から心配そうに覗き込んでくるセピリアを見て、少々自分を情けなく思った。

俺は強がった。

 

 

 

「馬鹿言え。まだ……ッ、余裕……だ」

 

 

「嘘くせー」

 

 

 

ばしりとセピリアはそんなことを言う。

 

もはやとどめだった。

 

言い返す言葉も見当たらず、はあはあと息をつきながら天井を見上げた。

白い手袋を外してパタパタと顔を煽いでいると、セピリアは壁に背を預け、そのままずるずると座り込んだ。

 

 

 

「少し休憩しよ。魔力を温存しなくちゃあ」

 

 

 

俺はしばしセピリアを眺めた後、おずおずと言った。

 

 

 

「……悪ィ」

 

 

 

セピリアはぴょこりと頭を上げた。

心底、不思議そうだった。

 

 

 

「何で謝るのさ?」

 

 

 

銃に弾を込めながら答える。

 

 

 

「ぶっ放したら、砕けちまったから……その……王女?」

 

 

「嗚呼、あれね。別に良いじゃん。唯の操り人形なんだから」

 

 

 

セピリアはにっこりした。

あまりにあっさりとした言葉に、拍子抜けよりもうら寒さを覚えた。

 

俺の顔を見て、セピリアは何を感じ取ったのかにやにやする。

 

 

 

「あー。今キミさ、僕のこと非情で冷血無慈悲な奴だと思ったでしょお? 図星? 図星なのかな、うん?? あのね、本当にあれは唯の操り人形なんだよ。王女本人は『玉座の間』にいるのがジョーシキだからね」

 

 

「『玉座の間』?」

 

 

「そ。『玉座の間』。この奥さ」

 

 

 

セピリアは廊下の向こうを何の気なしに指差した。

 

本物の『霧の街(ミスト・タウン)』に王女はいないし、『玉座の間』もない。

……この世界と俺の世界は、やはり似て非なるものらしい。

 

そしてこの奇妙奇天烈な世界の常識で言う王女本人は、『玉座の間』とやらにいるらしい。

 

 

壊してしまったのは、あくまで唯の人形。

 

 

そう思うと、少し胸が軽くなった。

幾ら何でもものを壊して喜ぶような趣味、俺にはない。

 

安心したら、思わず声に出た。

 

 

 

「ややこしいったらねぇ……最初からそう言えよ。てっきり、てめぇの友達を砕いちまったかと思ったじゃねえか」

 

 

 

文句を言えば、セピリアはけたけた笑った。

 

 

 

「変な人だね、テオは。王女は『玉座の間』にいるものだし、陶器の人形は壊すためにあるんだよぉ? 本当にキミは何も知らないんだねぇ」

 

 

 

俺は首を捻った。

如何もこいつの常識とやらは理解ができない。

 

 

 

「あのな、俺が二十四年間信じてきた常識とこの世界の常識がまるで噛み合わねぇだけだ。それは断じて俺の所為じゃない」

 

 

「ふぅん? やっぱり変なの。テオは変。でも楽しいよ」

 

 

 

セピリアは立ち上がって、うーんと伸びをした。

如何やらこいつの中で今、休憩が終わったらしい。

 

俺がまともに呼吸をするなか、セピリアは意気込んで言った。

 

 

 

「さ、王女をぶっ飛ばしに行こっ☆」

 

 

 

いつも思うが何でこの子供、突発的に物騒な発言をするのだろう。

 

 

 

「何でいきなりそうなる」

 

 

 

呆れたように突っ込む俺を見て、セピリアはぴょんぴょんと跳ねる。

 

 

 

「王女が歪んでしまったからさ!」

 

 

「は?」

 

 

「さっきの見たでしょ、もう王女は街の玩具達みたいにぐにゃぐにゃに歪んじゃってる。王女が歯車を隠し持っているから、こんなに『歪み(ディストーション)』を引き寄せちゃったんだよ! ね、テオ」

 

 

 

そうか、そういえばこいつ自身が言ってたよな。

時計の部品が強いプラスの力を持っているから、マイナスの力を持った『歪み』を引き寄せてしまうのは常識だと。

 

王女はその『歪み』に負けてしまったのだ。

 

 

 

「だから、ぶっ飛ばす☆」

 

 

 

目をキラキラさせて、こいつは言った。

こんな顔をしているが、実はフラストレーション溜まりまくってんだろおまえ。

 

思わず溜め息をついた。

 

 

 

「あくまで『ぶっ飛ばし』たいんだな、おまえ……」

 

 

 

セピリアはウサ耳の鈴をリンリン言わせながら走り出した。

 

 

 

「さ、行っくぞぉテオ!」

 

 

 

諦めて、白い背中を追いながら呟いた。

 

 

 

「早く帰りたい」

 

 

 

帰るには、付き合う他なさそうだった。