足を踏み入れた時から
其処はもう貴方の支配領域ではない
招かれざる客よ 目を閉ざしなさい
惑わす霧の影が映らぬように
望まれぬ盗人よ 耳を塞ぎなさい
惑わす霧の囁きが聴こえぬように
3.霧の城に招かれて
セピリアは、俺の隣をスキップしながら説明してくれた。
俺がいた『霧の街(ミスト・タウン)』を含む『正しい』世界。
其処には昔々、由緒正しき家が在り、由緒正しき人が住んでいたのだという。
昔々の世界はそれはそれはごちゃごちゃとしていて、まるで散らかった子供部屋のようだった。
セピリアは此処でにっこりした。
「だから、秩序のある世界を創るためには、散らかったものを片づける場所が必要でしょぉ?」
昔々の王様は、その由緒正しき人に『それ』を作らせたのだという。
玩具は玩具箱へ。
由緒正しき人は偉大な魔術師だったから、大きな扉と小さな懐中時計を作った。
大きな扉という場所『歪時廊』、大きな扉の小さな鍵『幽かなる光の懐中時計(トワイライト・ウォッチ)』。
王様は喜んで世界を整理整頓した。
「壁から木が生えてたら通行に困るから『歪時廊』へ。カラフルな雲が飛んでたら役人さんの目が疲れちゃうから『歪時廊』へ。そして、キミらの世界は『ちゃんとした』世界になったんだよ」
セピリアの言葉に、俺は頭を抱えた。
「じゃあ此処は、その『歪時廊』の中ってわけか?」
だとすれば、こんなにおかしいのは無理からぬことだ。
セピリアは続けた。
隣のこいつが弾むたびに、フードについたウサ耳の鈴が小さく鳴る。
ところが昔々の王様は、ゴミまで玩具箱に仕舞い込み始めた。
暴力も嫉妬も堕落も戦争も武器も……そして世界の矛盾も。
そうした『歪み(ディストーション)』は『歪時廊』に悪意を混じらせた。
よくあることだ。
人間、見たくないものを何処かに仕舞い込んで忘れるのが常だから。
由緒正しき人は『歪時廊』の中で『幽かなる光の懐中時計(トワイライト・ウォッチ)』を使って、必死で『歪み(ディストーション)』を『正しく』しようとした。
『幽かなる光の懐中時計』は時計だから、『正しく』時を刻む。
そうやってその人は、如何にか『歪み』をなくそうとしたんだ。
セピリアは薄らと寂しげに笑った。
「でもね、駄目だった。今、目の前に広がっているのがそう。『歪み』の所為でぬいぐるみは銃や斧を持つし、住人は硝子の木になっちゃうし」
『歪み』の浸透を止めること叶わず、その人は最後の抵抗として『歪時廊』の中にパンドラの箱を作り、『歪み』を其処に詰め込んで鍵を掛けた。
鍵は彼の家系に受け継がれていく。
何代も何代も。
時は進む。
「本当はね、此処はもっと楽しい場所だったんだよ」
俺は相手の言葉を遮った。
「ちょっと待て。何で『正しい』街にいた俺が今『歪時廊』にいるんだよ? 扉をくぐった覚えはねぇぞ」
「あ~、それそれ」
セピリアはうんうん頷いて、こちらに歯車を突きつけた。
そして言った。
「ね!」
真剣な眼差しで同意を求められた。
……。
意味わかんねぇ……。
俺の表情を見て、セピリアは呆れたように首を振った。
「何でそんな顔をするのさ? この歯車は『幽かなる光の懐中時計(トワイライト・ウォッチ)』の一部だもん。キミがこれで『歪み(ディストーション)』を引き寄せちゃったんでしょーがッ」
「はあ?? 一部? 引き寄せたぁ??」
困惑を通り越してキレ気味の俺に、セピリアは丁寧に言った。
「『幽かなる光の懐中時計』は『歪み』を『正しく』するの! 『幽かなる光の懐中時計』をプラスとして『歪み』をマイナスとしたら、お互いに引き合うのは常識でしょ!」
こいつに常識を語られたくはないが、まぁその通りだ。
俺は納得するしかない。
「てめぇが落としたのか、この歯車? 一部って……時計は現在故障中、ってか??」
聞けば即答された。
「砕けてバラッバラになった」
おいおいおい。
「時計屋で直してもらえよ、はた迷惑な」
「無理だよ。だって僕、時計本体と歯車三つしか持ってないもん。歯車は全部で百八つ。針は三つ。文字盤は十二個でしょ。探し中なのよん」
相手は余裕たっぷりの声で指折り数えて言う。
俺は勢い良くセピリアを見下ろした。
「探し中なのよん、じゃねえよ馬鹿兎。じゃ、そのパーツ共が『歪み』を引き寄せてこんなヘンテコな街を具現化させてんのかッ!?!?」
「ものわかりが良いね、オニーサン。だから僕、急いでんの」
この世界を理解して騒ぐ俺をにこにこしながら眺めるセピリアは、眩しそうに手元の歯車を翳した。
「これで四つ。……そして」
セピリアは足を止めた。
「此処にもうひとつ、さ」
文句で開きかけた口を閉じ、やっと自分達が何処にいるのかを知った。
『霧の街(ミスト・タウン)』にある城門……否、此処は本物の『霧の街』ではないから、疑似城門前か。
話に夢中で、広場を正面に突き進んで至るこの城の存在に気づかなかったのだ。
「此処って、フォグホーンじゃねえか」
こちらを見上げて、セピリアは首を傾げる。
「お城の名前かい? フォークホンって」
「フォグホーンだ。できれば二度と入りたくはない場所で……って、おい!」
あの野郎……話も聞かずに門を抉じ開けやがった。
続いて俺を振り返って一言。
「あれ、何か言ったあ??」
「セピリア、少しは人の話を聞け」
「う~ん、……長くなりそうだからパスね」
とてとてと門をくぐり、そいつは、今度は城の大扉を押している。
何てマイペースな奴なのだろう。
セピリアはうんうん唸りながら扉と格闘していた。
なにぶん、ちっこい奴である。
この大扉を開けるのには、骨が要るようだった。
「ほらぁ、テオも手伝ってよう……帰りたいんでしょぉ??」
まるで掃除をサボった男子を見るような目つきでそう言われたので、しぶしぶながらに従った。
もう、こいつに逆らわない方が良いとこの数分間でよくよく学んだ。
俺達は揃って大扉を押す。
耳につく軋む音を響かせ、それは動いた。
動き始めると他力はもう必要としないのか、勝手に向こう側へと移動していく。
腹に来る音を立てた後、扉は完全に開いて静止した。
案の定、警備どころか城の人間さえ出て来る気配はなかった。
「やっぱ気味悪ィ」
わらわらと兵士が出て来てこの極悪人呼ばわりの自分に、逮捕だの死罪だの言うのが普通なわけだ。
こんな静かな出迎え、別の意味で嫌過ぎる。
一方のセピリアは、何の表情の変化も見せずにあっさりとその一歩を踏み出していた。
俺の気の所為だろうか。
セピリアの瞳が一瞬、強く閃いたのは。
(終わらせてみせる)
そうセピリアの唇が微かに紡いだのは。
この時の俺は、あまりに状況を知らな過ぎたのだ。
判断を下す前に、その一瞬の表情は消え失せ、相手は腑抜けた笑いを浮かべていた。
「おやおやおやぁ? がたいがデカい癖に、怖いのかなぁ??」
俺は目を瞬く。
相手の言葉に合わせて返答した。
「あ? ……うっせ、いつも出るもんが出て来ねぇと、出鼻くじかれんだよ、俺はよ」
セピリアは小首を傾げた。
「出るもんって、……ゴキブリ?」
「……あー、まぁそんなもんだ」
兵士という名の煩い虫に変わりはない。
セピリアはころころと声を立てた。
「あはは! テオは面白いねぇ。でも残念がらなくていーよ。これからきっと、何か出るからさ」
何かって何だよ。
突っ込む前にセピリアの背中は城の中へと消える。
妙な期待を与えられた俺は、首を捻りつつ白い兎に従った。