「……!?」
ばっと零コンマ一秒で振り返った俺は肝を冷やした。
新手の敵か…!
振り返って、そしてそのまま停止した。
一瞬、思考が追いつかなくなる。
目の前の噴水(だったもの)の上に、誰かが立っていた。
俺やぬいぐるみの化け物を見下ろす形で、そいつは屈み込む。
白いフード。
其処から覗く癖っ毛も白い。
俺が呆けたように思考停止したのは、ふたつ理由がある。
別にそいつが目を見張るほど、整った顔をしていたとかは抜きにしてだ。
ひとつはそいつが先程まで追いかけていた奴だったこと、そしてもうひとつはそいつの洋服のセンスだろうか、白いフードには何と兎の耳がついていたからだ。
「退いてくんない、オニーサン?」
そいつは俺の顔を上から覗き込む。
……近ぇよ。
思わず仰け反った。
はなからこちらの答えなど待ってはいなかったようで、白いそいつは噴水(の残骸)から跳び降りた。
重力の法則など知るかと言わんばかりに、足音もなくふわりと広場に着地する。
唯、ウサ耳についた大きな鈴がリン、と軽い音を響かせた。
「ガガ……シロイウサ……ギ、遊べナイ……嫌イ嫌イキライ」
ラジオ音声のような声で、ぬいぐるみ達は騒めいた。
明らかに、白いこいつを見知っているような振る舞いだ。
しかし、ぬいぐるみ達が手に携えた武器を構え直したことから、好意的なそれでないことがわかる。
白いそいつは首を傾げた。
「僕、嫌われるようなことしたかなぁ??」
緊張感ねぇなコイツ。
今まさに命の危機に瀕しているというのに、如何して笑ってられんだよ!
少々睨めば、相手は「なあに?」とこっちを見上げた。
こう見ると、俺より頭ひとつ分ほど小さい。
そいつは言った。
「オニーサンは、こいつらの友達なのぉ?」
何とも阿呆臭い質問に、俺は銃を左手に持ち替えて肩を竦めてみせた。
「……そう見えるか?」
「だよね」
にっと笑って、そいつは化け物の群れに向き直った。
これまた、はなから俺のことなど如何でも良かったのだろう。
何も言わず、そのままそいつは群れに向かって突っ走っていく。
止める間もない出来事だった。
「ちょっ、おま……戻れ!」
思わず叫ぶ。
正直、あの数相手に年端もいかない子供が突っ込んでいくのは、あまりにも無謀だった。
怪我だけでは済まないことは目に見えていて、慌てた。
しかし、俺の考えは杞憂に終わったらしい。
そいつは、化け物が横薙ぎにした斧を地面を蹴って跳んだ際に軽々とかわし、空中で抜刀した。
月明かりなのか街灯なのか、紅の刃に光が映り込んで、鋭い閃光が走る。
「ほりゃっ」
ふざけた気合いの声と共に、そいつはその一体を頭から真っ二つにしていた。
呆気ないなんてものじゃない。
あれだけ俺が苦労したものを「ほりゃっ」で終わらせるこいつは一体何なんだ。
顎が落ちた。
次々とそいつの犠牲になった哀れな残骸達があちらこちらに散らばっていく。
圧倒的な力で、白い子供はぬいぐるみ達を蹂躙していった。
蹂躙。
その言葉がお似合いだ。
が、やはり数が多過ぎるのか、なかなか相手の数が減らないことを感じ取った。
そいつに任せてこの場から逃げてしまおうか、という考えが頭を掠めたが、子供の背後で大剣を振り上げる獅子のぬいぐるみを見、あっさりとその考えを捨てた。
数発立て続けに発砲すると、ぬいぐるみはバランスを崩して倒れた。
俺は舌打ちする。
俺の銃では石ころを投げたのとそう変わらないらしく、傷もつけられないことに腹が立った。
俺の加勢にそいつは振り返って、倒れているそれを袈裟斬りにし、また地面を蹴って跳躍した。
今度は俺の隣にすとんと足をつける。
「ふぅ、急いでるのに」
面倒臭そうに溜め息をつく子供に、眉間に皺を寄せてみせた。
「あのなぁ! 少しは危機感持てよ! 囲まれてんだろーがよッ」
白いそいつは、むぅと言った。
埒が明かないと感じたらしい。
「……僕の所為かよぉ、責任転嫁ぁ。よく此処まで『歪み(ディストーション)』を集めたね、キミ」
お腹減ったな、と続けて、そいつは刀を天に向かって振り上げた。
「全員黒コゲだっ☆ 『大火柱(リエスマ)』!」
ボッと刀が炎を纏った。
そいつはそのまま風切り音を響かせ、刀を振り下ろす。
次の瞬間、俺は地獄というイメージを理解した。
視界どころか空いっぱいまで、俺達を中心として炎の壁が出現し、円外のぬいぐるみ共を焼いていく。
波紋を広げるように、炎の壁は外へ外へと広がっていった。
目の前が赤一色に染まり、熱気が肌から感受された。
熱風で目に涙が滲むなか、僅か数秒で周り全てを焼き尽くした炎は、広場から消失した。
ゴミの分別より速い。
その威力に言葉も出ず立ち尽くしていると、白いそいつはう~んと伸びをした。
心の底から清々しそうだった。
刀はもう納めている。
「うんっ、よしっと。あれれ?」
そいつはこちらを訝しげに見遣った。
「まだいたの、キミ」
酷い言われようだ。
「てっ、てめぇ一体何者なんだよ」
凄んでも、相手はまるで気負いした様子もない。
「僕ぅ?? 人に尋ねる前に、自分から名乗れば」
もっともなことを言われ、俺は唸る。
だが、状況が状況だ。
とりあえず相手の言葉に素直に従った。
「俺はテオドア・デュ・ヴィンテージ。聞きてぇことが山ほどあるんだが」
少し警戒しつつ切り出す。
今、話が通じる奴は残念ながら目の前の白い変人しかいない。
それに実質上、こいつに助けられてしまったのだ。
それを無視するほど、俺は恩知らずではなかった。
相手はにこぉっとする。
「何でも聞いて良いよ。えっとぉ……セオドア・デュ・ナントカさん??」
「テオドアだ馬鹿」
命の恩人に速攻で暴言を吐いていた。
訂正しよう、俺は恩知らずだ。
そいつは全く表情も変えずに言う。
「テオ? テオね、わかった。質問どうぞテオドア」
今ダイレクトに馬鹿言ったね、と突っ込みつつ、白いそいつはそう促した。
俺は言う。
「まず、此処は何処だ?」
後にも先にも、これほど重要なことはないだろう。
まず其処を知らねば。
そいつは首を傾げてあっさりと言った。
「さあ?」
思わず広場にスライディングを決めるとこだった。
俺は抗議の声をあげる。
「んなっ!? いきなり『さあ?』とか言うのかよ!」
そいつは肩を竦めた。
「だって、それほど重要じゃないし。どのみち何処も彼処も偽りで作られた『歪み(ディストーション)』の中だもの。『正せ』ば消える」
言ってる言語はわかるのに、言ってる意味がわからない。
最悪だ。
「……『歪み』だと……??」
顔を顰める俺を見て、そいつはことことと声を立てて笑った。
「おかしな人だね。此処の人な癖に」
「違うっ!!!」
自分でも驚くぐらいの音量だった。
相手は吃驚したように目を見開いた。
数秒間、沈黙が流れる。
途方に暮れ、俺は片手で顔を覆いながら深呼吸をした。
「違う……俺は、……俺はこんな場所(ところ)知らない。知るわけねぇだろ。頭がおかしくなりそうだ」
静かになったので顔を上げると、そいつはもう笑ってはいなかった。
「此処の住人じゃあない?」
酷く真面目に尋ねられ、俺は頷く。
「あ、ああ。俺は『霧の街(ミスト・タウン)』にいた。……否、此処も『霧の街』だが……こんな変じゃなかったというか」
「『正しい』街の人だね」
そいつの言葉に溜め息が漏れた。
「此処が狂った世界って言うんなら、そうだ。外見はそう変わらんのにまるで何もかもが大違いだ……って、おまえ! 何やってんだよっ!?」
俺は仰け反った。
こいつ、俺の帽子取りやがった。
「此処じゃない……」
そいつはあちこちから帽子を眺め回した後、それをぽいっと其処らに放った。
「あっ、てめッ……大事な帽子を! っうあ!?」
今度はコートのポケットに手ぇ突っ込みやがった。
何がしたいんだよ。
叫ぶ前に、ちっこい手がポケットから引き抜かれる。
「やっぱ、これか!」
ひとり納得するそいつの手には、あの歯車が光っていた。
俺はこれ以上ないくらい嫌な顔をした。
「そのボロ歯車が如何したってんだよ、このチビ助っ!」
その発言に、白い変人は跳び上がって怒り出した。
何処ぞの幼児のように膨れっ面までしている。
「だぁれが『チビ助』だ、真っ黒くろすけ! 僕にはちゃんとセピリア・カリーネ・イヴァンジュリン・ノーランド・オルド・ワ・リーベンルージュって名前があるんだよ! それから、これだって『ボロ』歯車じゃないやいっ!」
セピ……何だって??
相手の気迫にぽかんとする。
よく聞き取れなかったが、今のはこいつの名前か?
名前だよな?
こう言っちゃあれだが、長ぇよ。
長過ぎだよ名前!
あと『真っ黒くろすけ』って何だよ。
俺が黒づくめだからか??
「わかった、わかったから! 言い過ぎた! もう一度、いちから説明してくれないか? 俺は唯、元のつまらねえ世界に戻りたいだけなんだよ……!」
ぎゃんぎゃんと思いつく限りの罵詈雑言の嵐と非難轟々の相手を如何にか落ち着かせ、俺は自ら低い身に呈した。
もうこいつ相手じゃ、帰れるか如何かすら不安になってきたのだが。話を聞く態度はきちんとすべきだろう。
今、学んだことだ。
あと、こいつに『チビ助』は禁句らしい、うん。
むぅっとこちらを睨むそいつに、溜め息混じりに聞いた。
「まず、名前」
「セピリア・カリーネ・イヴァンジュリン・ノーランド・オルド・ワ・リーベンルージュ」
「だから長ぇんだよてめぇ! 如何いう家柄だ一体」
「何だよう、人の名前くらいちゃんと覚えろよう!」
「さっき俺の名前を始めっから間違えた奴にだけは言われたくねぇ!」
相手は「じゃあ~……」と言って、少し考えた。
「せめて『セピリア』ぐらいは覚えてよ」
俺は白い変人、もといセピリアに言った。
「じゃあセピリア、何で俺がこんなところにいんのか教えてくれ……」
セピリアはうん、と頷いた。
「歩きながら話そう。その方が良いって、僕のウサフードがそう言ってるんだ」