姉妹がきょとんとこちらを向いたので、俺は耳を塞ぎながら白兎に文句を言った。

 

 

 

「何だよいきなり。煩ぇな」

 

 

 

セピリアは俺を無視して、姉妹の前まで素っ飛んでいった。

 

何処までも空気の読めない奴である。

 

 

 

「ヴィーちゃん、あのね! ごめんね。おばけくじらちゃんに食べられちゃったヴィーちゃんのネックレス……あれ、取り返せなかったんだよ。おばけくじらちゃんってば、僕がちょぉっとお腹を撫でただけで逃げちゃったんだよね……」

 

 

 

こいつと俺の認識の差を感じた。

 

足で腹を撫でたとでも言うのかこいつは?

明らかに物凄い破壊力で蹴っ飛ばしていたような気がするのだが。

 

しゅんとするセピリアに、ヴァイオレットは大きく微笑んだ。

 

 

 

「良いんです、白兎様。わたくし達、互いの色を交換したんですのよ。スカイにはわたくしの紫をネックレスに、わたくしにはスカイの青をネックレスに。いつでもお互いがお互いを引き立てるようにって願いを込めて、ね」

 

 

「独りでいる時も、互いが傍にいるような気がしたのよ。ネックレスをつけているとね」

 

 

 

スカイ=ブルーが言葉を引き継いだ。彼女は笑う。

 

 

 

「でももう必要ないわ。だって私達、独りじゃないもの。私がヴァイオレットを引き立てて」

 

 

「わたくしがスカイを引き立てるんです。わたくし達、双子ですから」

 

 

 

ヴァイオレットとスカイ=ブルーは同時に目配せをして、そして俺達に向き直った。

スカイ=ブルーが俺にネックレスを差し出した。

 

 

 

「受け取ってくれるかしら、テオドア? あなたに迷惑をかけた分だけ、気持ちをあげたいの。……お守りよ」

 

 

 

戸惑ったものの、俺は素直にそれを受け取った。

不意にヴァイオレットが耳元で悪戯っぽく囁いた。

 

 

 

「スカイは貴方に気があるみたい。妹が誰かに何かを渡すなんて……貴重(レア)ですよ?」

 

 

「「なっ……!」」

 

 

 

俺とスカイ=ブルーが真っ赤になるのはほぼ同時だった。

 

スカイ=ブルーは両の手を天に突き上げる。

 

 

 

「ちょっとヴァイオレット! 変なことを彼に吹き込まないでよ!」

 

 

「あら、嫉妬?」

 

 

 

ヴァイオレットがにっこりすると、スカイ=ブルーはわたわたと慌て出した。

 

 

 

「そ、そんなことないッ!」

 

 

 

頬を燃やして俺から目を逸らす妹をくすくす笑いながら眺め、ヴァイオレットは水を蹴って言った。

 

 

 

「じゃあ、わたくしがテオドア様をもらっちゃおうかしら?」

 

 

 

冗談混じりな言葉を本気にしたのか、スカイ=ブルーは勢い良く顔を上げた。

スカイ=ブルーは焦ったように顔を紅潮させたまま、逃げる悪戯好きな姉を追いかけていく。

 

 

 

「それは駄目―――っ! こら! 待ちなさいヴァイオレット!」

 

 

 

姉妹の終わらない追いかけっこを遠目から眺め、俺は帽子を押さえつけて肩を落とした。

 

 

 

「やれやれ。本っ当、どたばた姫とお騒がせ姫だな、ありゃあ」

 

 

「そのわりに、まんざらでもなさそうだったけどね、テオ」

 

 

 

にやにやするセピリアに、俺は嫌な顔をした。

 

 

 

「馬鹿言え。お姫様の相手なんか二度と御免だな」

 

 

 

熱い顔を隠すように背ければ、セピリアは「素直じゃないんだからぁー」と言った。

 

ぱちっと音がしたので手元に視線を落とすと、手の中で紫色の石が仄かな光を放っていた。

まるでどくんどくんと脈打つかのように、光は強くなったり弱くなったりを繰り返す。

まさか、と思ってセピリアの方を見れば、セピリアのウサフードから同じような光が漏れていた。

 

 

 

「あ、時計」

 

 

 

セピリアはそう呟いて、鎖を引っ張り上げる。

 

するすると現われた『幽かなる懐中時計(トワイライト・ウォッチ)』はその名の通り、優しく瞬いていた。

 

 

 

「時計の部品だったのか……」

 

 

 

俺は、まじまじとネックレスについた紫石を眺めた。

石は時計に戻りたがっているかのように、ちらちらと輝いた。

 

セピリアは俺に笑いかけた。

 

 

 

「それじゃぁ、そろそろキミはお家に帰ろっか」

 

 

 

そっと伸ばされるか細い手首を、思わず掴んでいた。

 

 

 

「待った」

 

 

 

俺の言葉に、セピリアはきょとんとこちらを見上げた。

 

 

 

「ん? どったのテオ?? 何だかいつもと違うね」

 

 

 

セピリアが紫石に伸ばしていた手を退くと、俺はゆっくりと切り出した。

 

 

 

「てめぇに話がある。……そのために俺は此処に来た」

 

 

 

普段は話なんかこれっぽちも聞かない癖に、何かを感じ取ったのかセピリアは向こうできゃあきゃあ騒ぐ姉妹をちらと見た後、再びこちらを見上げた。

 

 

 

「そっか。じゃ、とりあえずあっち行こう。僕への話だからね、僕とキミ以外は要らなそうだよ」

 

 

 

俺はひとつ頷き、とことこと歩き出す白兎に従った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、何だい??」

 

 

 

街を出てしばらくしたところで、セピリアは俺を振り返った。

相手の背後で美しい珊瑚が揺らめいている。

小さな黄色い魚が不思議そうに俺達の周りを泳ぎ回っていた。

 

幻想的な光景と、これから話す酷く無機質で現実的な問題とのギャップに、改めて表情を暗くした。

 

 

 

「逃げろ」

 

 

 

俺の呟きに相手は首を傾げた。

 

 

 

「如何ゆうこと?」

 

 

 

深呼吸をした後、口を開いた。

 

 

 

「俺の世界には議会ってのがあって……嗚呼、議会っつうのは自分の権力のために下らない騒動でありとあらゆる奴に迷惑をかけるものなんだが。其処のラスト・メルヴィスと言う男が、俺にてめぇを捕らえるよう命令してきた。だから、逃げろ」

 

 

 

セピリアは大きな目をぱちくりさせた。

 

 

 

「めーれー、聞かなくて良いのぉ? それでテオは困らないのぉ??」

 

 

「てめぇを突き出せば俺の罪全部、帳消しにしてくれるってよ」

 

 

 

俺は自嘲気味に笑った。

しばしの沈黙の後、俺はきっぱりと言った。

 

 

 

「でもそんな自由、俺は要らない……」

 

 

 

俺の言葉に、セピリアはふにゃりと笑った。

 

 

 

「僕、別に構わないんだよ。僕をそのギカイ? に連れてけば良いのに」

 

 

「てめぇな……」

 

 

 

絶句した。

 

セピリアはあっさりと言う。

 

 

 

「だって、それでテオは自由になれるんでしょ? じゃ、それでいーじゃん!」

 

 

 

ちっとも良くない。

 

何をされるかわからない癖に。

議会にどんな奴らが蔓延っているのか知らない癖に。

 

俺は唯、相手を見つめる。

 

 

一体、何処までこいつは馬鹿なんだ。

 

何処までこいつは……俺を信じるつもりなんだ。

 

 

ぐしゃぐしゃと前髪をかき上げて唸った。

だからこそ俺は、こいつをあの大臣に突き出すのをやめた。

こいつは俺の家族でも友達でもない。

 

……しかし、こいつは俺を最後まで疑ったりしなかったから。

 

 

きっと最後の最後まで、信じ続けるだろうから。

 

 

顔から腕を下ろし、言った。

 

 

 

「俺がてめぇを引き渡したくねぇんだよ。だから、てめぇは国に捕まるな。しばらく『霧の街(ミスト・タウン)』には近づかない方が良いぜ?」

 

 

 

その言葉に、白兎はふーんと言った。

 

 

 

「それを伝えるために、わざわざ泳いできたのぉ??」

 

 

「そうだ」

 

 

 

頷けば、セピリアは可笑しそうに笑った。

 

 

 

「キミもなかなか良い具合にお人好しだよ、ふふふ。……でも、……ありがとぉ☆」

 

 

 

何処まで伝わったのかは兎も角、相手は俺の話を反芻しているのか珊瑚の間をふらふらと行ったり来たりした。

その様子を眺めながら、ほっと息をつく。

何だか、肩の荷が下りたような気がした。

 

と、セピリアがぴたりと立ち止まった。

 

 

 

「ねー、テオはこれからどぉするの?」

 

 

 

如何やらこいつの頭は、しっかりと状況を把握し終わったらしい。

相手の言葉に、俺は近くの岩に腰掛け、キセルを取り出しながら応じた。

 

 

 

「さて、如何したものかな。どのみち、俺は逃げられねぇしな」

 

 

 

水中で火が点くか疑わしかったものの、マッチを靴底に擦るとポッと赤く燃え上がった。

キセルに火を移して、思い切り煙を吸い込んだ。

 

肺が満たされていく感覚。

 

不意にセピリアが嬉しそうに俺を振り返った。

 

 

 

「あ、じゃあ僕良いこと思いついちった☆ しばらくこっちの世界にいると良いよ、テオ。そいで、僕のことちょこっと手伝って」

 

 

 

俺はふーっと煙を吐き出して眉を顰める。

 

 

 

「俺が?」

 

 

「うん」

 

 

「てめぇを?」

 

 

「うん、そう」

 

 

 

こっくりとセピリアは頷いた。

 

 

 

「こっちの世界ならギカイも追いかけてこれないし、しばらく好機を待てば良いと思うよ。僕も手伝ってくれるなら助かるし。ちょーウエルカム!」

 

 

 

相手の言葉を噛み締めるように、キセルを咥えて考える。

 

しばらくして、前に立つ白兎を見上げた。

 

 

 

「なかなか悪くねぇな、それ。悪くないと言うより、今のところ最善策だ」

 

 

「でしょ?」

 

 

 

にぱっとセピリアは満足げに笑った。

 

 

 

「さすがにひとりで時計の部品集めることに限界を感じてたんだ。旅は道連れ世は情け、歩く姿は百合の花、って言うし」

 

 

「言わねえよ」

 

 

「ま、兎も角さ。よろしくさん」

 

 

 

セピリアが俺に右手を差し出した。

相手の右手を見、再びその顔を見た。

この手がまるで、救いのような気がした。

 

そう、如何せ俺に帰る場所はない。

 

待つ人はいない。

 

守るものも……また。

 

 

師匠(せんせい)が死んでから、ずっとだ。

 

 

 

だから。

 

 

 

 

迷う必要なんてなかった。

 

 

 

 

 

「ああ」

 

 

 

俺は右手で相手の手をしっかりと握った。

相手の手は凄く小さくて、でも予想以上に温かかった。

 

人の、温かさだった。

 

何となく、懐かしいような不思議な感覚に囚われた。

改めて思う。

 

もう師匠(せんせい)の二の舞はしたくない、と。

 

そんなこと、させない。

 

俺は相手の大きな紫の瞳を見上げ、握る手に力を込めた。

 

 

さて、手を離した後、セピリアは切り替えるようにぴょんと軽く跳んで言った。

 

 

 

「それでは! 早速、次行ってみよー☆」

 

 

 

あ、と俺は片手を挙げた。

 

 

 

「ひとつ」

 

 

「ん? なーに??」

 

 

 

首を傾げるセピリアに、俺は言った。

 

 

 

「グレイもたぶん、俺と同じ立場にあると思う。……悪ければもう捕まっているかも。一度、『霧の街(ミスト・タウン)』の様子だけ見たい」

 

 

 

セピリアは苦笑した。

 

 

 

「テオ、捕まらなーい??」

 

 

「上手くやるさ」

 

 

 

俺は肩を竦めてみせた。

 

セピリアははなから協力するつもりだったのか、右手にネックレスを、左手に時計を構えて言った。

 

 

 

「んじゃあ最後に一度、『霧の街』に送ったげる。三十分後に再びキミんところに『歪時廊』を近づける。それで良いかな?」

 

 

 

俺は頷く。

 

 

 

「ああ、頼む」

 

 

「それじゃ、いくよ!」

 

 

 

にっと口角を上げ、セピリアはふたつを引き寄せた。

 

ぶつかり合う音。

 

明るい鐘の音のような音。

 

 

 

俺の視界は一気にホワイトアウトした。