ズドォォォォンッという音と共に、セピリアのブーツが鯨の脇腹にめり込んだ。

弾力で吹っ飛ばされて、セピリアは軽々と俺の隣に着地する。

 

 

 

グオオオオオオオオ!

 

 

 

苦悶の声をあげ、案の定おばけくじらが多量の水を吐き出した。

身体をくの字に曲げ、鯨はのた打ち回る。

巨大な身体が近くの円柱を薙ぎ倒し、ひれについた鎌のような赤い爪が広間の床を抉った。

 

暴れ回る鯨が起こす振動に思わず後退りをして、首を振った。

 

 

 

「おいおい、何かやばくねえか?」

 

 

 

ごばっと頭穴から気泡を吐き出し、おばけくじらがガチガチと歯を打ち合わせながら俺達に向き直った。

その瞳は怒りに燃えている。

 

セピリアはと言うと、既に紅の刀を構えている。

 

 

 

「返してよ、ネックレス。兎ちゃんは魚が大好物なんだよ? 三枚に下ろされたいの??」

 

 

 

冷笑する白兎に向かって巨大な鯨は赤い爪を振り翳し、襲いかかってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グワアアアアアアアアアアアアア!

 

 

 

おばけくじらの悲痛な叫び声が遺跡を震わせた。

セピリアの蹴りが、またも脇腹に入ったのだ。

 

おばけくじらの瞳の中に恐怖が浮かんだ。

この数分間で白兎の力量を思い知ったのだろう。

 

俺の撃った弾丸を食らって、おばけくじらは鼻先を水面に逸らして吼えた。

 

 

 

 ばしんっ

 

 

 

巨大な尾ひれで水を蹴って、鯨は方向転換する。

水圧で足が遺跡の床から浮き上がった。

 

顔を庇っていた腕を下ろすと、遥か向こうの湖にくじらが消えていくのが見えた。

 

俺は、青の境界に消えるおばけくじらを睨み続けるセピリアに言った。

 

 

 

「逃げられちまったな」

 

 

「うん……」

 

 

 

セピリアは小さく頷いて刀を収めた。

幾分、その声には元気がなかった。

 

笑ってはいるものの、その表情に落胆が窺える。

 

鯨の腹を蹴ってネックレスが戻って来るなら世話はないだろう、と文句を言おうと思っていたのに、何だかそんな気が失せてしまった。

 

俺は銃をホルダーに収めて言った。

 

 

 

「そんな顔したって仕様がねぇだろ。シャキッとしろよ、まだもうひとつ探さなきゃならねえネックレスがあるんだからよ」

 

 

 

俺は帽子を相手の頭にぽんと置いて、続けた。

 

 

 

「『嘆く前に行動しろ』。……俺の親の受け売りだが、な」

 

 

 

歩き出す俺の後ろで、「テオ……」としおらしい白兎の声が聞こえたが、放っておいた。

 

察しの良いあいつのことだ。

今の言葉で充分だろう。

 

思った通り、少しはやる気が戻ったのかセピリアが後ろから駆けて来て、俺に追いついた。

ひょいと俺の頭に帽子を乗っけて、セピリアはいつも通り明るく笑った。

 

 

 

「ありがとぉ☆ そぉだね、スーちゃんのネックレス探そう」

 

 

 

俺は横目で相手を見た後、ティアリ―シルクの街へ視線を移して口角を上げた。

 

 

 

「行くぞ」

 

 

 

街に入ってしばらくしたところで、近くの貝殻の家から誰かが飛び出してきた。

 

 

 

「そ、そ、其処のあんた!」

 

 

 

俺は辺りを見回す。

俺とセピリア以外、呼び止められそうな奴はいない。

 

相手に向き直り、自身の顔を指差して尋ねた。

 

 

 

「俺のことか??」

 

 

「そうっ! そうだ!」

 

 

 

相手は興奮したように頷いた。

 

相手は赤い魚だった。

ひれに黒いラインが入っており、ハンマーを背負っている。

 

魚は言った。

 

 

 

「おれは鍛冶屋だ。それでその……あんたが持っているそれは、おばけくじらの鱗じゃないか?」

 

 

 

俺が持っている?

 

俺は両手をまじまじと見た。

セピリアが隣で言う。

 

 

 

「ほら、テオ。キミの手袋の端だよ。何か引っ掛かってる」

 

 

 

セピリアの言う通り、白い手袋の端にきらりと光るものが在った。

摘まみ上げてみると成程、鱗に見えなくもない。

 

しかし、鯨に鱗なんて在ったっけか??

 

首を傾げる俺に、魚は縋りついた。

 

 

 

「あっ、あああ頼む! それを譲ってくれないか!? 代わりに法螺貝をやるからさ!」

 

 

 

俺は魚の勢いに目を白黒させた。

 

 

 

「別に法螺貝は要らねぇけど……」

 

 

 

ていうか法螺貝なんて、一体何に使うんだ?

誰か教えてくれ。

 

虹色に輝く鱗を物欲しげに見る鍛冶屋を一瞥し、セピリアはにぱっと笑った。

 

 

 

「欲しがってるならあげれば、テオ?」

 

 

 

俺はさっさと鱗を差し出した。

 

 

 

「俺は鱗なんか要らねぇし、やるよ」

 

 

 

鍛冶屋は有り難いと叫んで、鱗を受け取った。

 

代わりに俺の手には法螺貝。

俺はしげしげと黄褐色に黒い半月班の貝を眺めた。

 

 

 

「法螺貝なんか、何に使うんだ?」

 

 

 

尋ねると、歩きながらセピリアは答える。

 

 

 

「枕にすると最高なんだよ」

 

 

 

すると、俺の前に灰色のエビが現れた。

 

 

 

「それは本当か!? その法螺貝をわしに譲ってはくれまいか、若人?」

 

 

 

エビは長いひげを揺らして言った。

セピリアを見ると、セピリアはにぱっと笑った。

 

 

 

「欲しがってるならあげれば、テオ?」

 

 

 

俺はさっさと法螺貝を差し出した。

 

 

 

「ほらよ」

 

 

 

エビは嬉しそうに目を輝かせ、パイプを燻らせながら言った。

 

 

 

「これで安眠できるわい。では、代わりにこれをやろう」

 

 

 

くれたのは藻の瓶詰め。

 

俺はしげしげと鮮やかな緑の藻が詰まった瓶を眺めた。

 

 

 

「藻なんか、何に使うんだ?」

 

 

 

尋ねると、去っていくエビに手を振りながらセピリアは答える。

 

 

 

「お料理にすると最高なんだよ」

 

 

 

街角を曲がろうとしたところで、エプロンをつけた人魚に捕まった。

 

 

 

「其処の格好良いお兄さん、おばちゃんにその瓶くれないかい? 材料が足りなくて困ってるのさ」

 

 

 

目を瞬いていると、セピリアはにぱっと笑った。

 

 

 

「欲しがってるならあげれば、テオ?」

 

 

 

俺はさっさと藻の瓶詰めを差し出した。

 

 

 

「ほらよ」

 

 

 

人魚はがははと笑って、俺の背中をばしんと叩いた。

 

 

 

「さっすが色男は違うね! おばちゃん感激。代わりにこれあげるよ、あたしが作ったのさ」

 

 

 

よろける俺の手には蜜を花形に固めたキャンディーの詰め合わせ。

 

とても甘そうだった。

 

セピリアが物欲しそうな顔をしたので、棒付きキャンディーをひとつ取って、相手の前で軽く振った。

 

 

 

「要るか?」

 

 

「いるっ!」

 

 

 

セピリアは即答してキャンディーを受け取った。

歩きながらキャンディーを食べさせたら、こいつはゼッタイ喉に詰まらせるだろうと思い、俺は街の広場で止まった。

 

俺とセピリアはそのまま近くのベンチに腰掛ける。

 

白兎は余程甘いものに目がないと見えて、子供っぽく包装紙を破き、キャンディーにかぶりついた。

ばきんと音がする。

 

思わず溜め息をついて言った。

 

 

 

「瞬殺かよ。飴ってのは長い間舐めるもんじゃねえのか?」

 

 

 

キャンディーを棒から分離して、セピリアはころころと口の中でそれを転がした。

 

 

 

「舐めてるよ。でもやっぱり噛みたくなっちゃうじゃん。……あふっ、このキャンディー甘い。こんなに美味しいキャンディーなんて、きっと一生食べられないよ!」

 

 

「大袈裟だよな、てめぇは」

 

 

「最高!」

 

 

「大絶賛だよな」

 

 

「幸せ!」

 

 

「大仰だよな」

 

 

 

俺は頬杖をついた。

さて、これから何処を探そうか。

城内は全て見てしまったし、城下町もほとんど探し終わってしまった。

 

ネックレスは見つからない。

 

眉間に皺を寄せていると、セピリアが俺の手元のキャンディーの山から一本抜き取って、こちらに差し出した。

 

 

 

「ほらよ。テオも食べると良い」

 

 

 

俺は顔を上げた。

 

相手は笑顔だ。

 

俺は言った。

 

 

 

「要らねえ。俺は甘ったるいのが苦手だ」

 

 

 

相手は笑顔だ。

 

 

 

「全世界のありとあらゆる甘ったるいものに土下座しろ、テオドア」

 

 

「怖ぇよ。無邪気な笑顔でとんでもねぇことを言うよな。邪気の塊じゃねえか。てめぇが食えば良いだろセピリア」

 

 

「わーい☆ そうする」

 

 

 

元よりそのつもりだったのか、セピリアはぐしゃぐしゃと包みを破いて、ぱくんとキャンディーを口に含む。

また、ばきんと音がした。

 

しばらくの沈黙の後、セピリアは言った。

 

 

 

「『そんな顔したって仕様がねぇだろ。シャキッとしろよ』」

 

 

 

俺は言う。

 

 

 

「俺の台詞だな」

 

 

「うん、そう」

 

 

 

舌の上にキャンディーを器用に乗せながらセピリアは頷き、そして続けた。

 

 

 

「そんな難しい顔しなくたって、きっと良いこと起こるよ。僕が保証する」

 

 

 

俺ははっと笑う。

 

 

 

「凄ぇ自信だな」

 

 

 

セピリアもにっと笑う。

 

 

 

「甘いものは幸せを呼ぶんだよ」

 

 

 

帽子を被り直していると、すい~っと誰かが近づいてきた。

 

 

 

「ねー、おにーちゃん」

 

 

 

見れば人魚の子供だった。

物珍しげに俺とセピリアの二本足を眺め、子供はおずおずと言う。

 

 

 

「そのキャンディー、美味しいってほんとう?」

 

 

 

俺達が顔を見合わせると、子供は羨ましげにキャンディーを眺めた。

 

 

 

「さっき、白兎さんが『美味しい』って言うの聞こえたから……」

 

 

 

セピリアはベンチからぴょんと立ち上がった。

 

 

 

「うん、僕ゆったよ。こんな美味しいキャンディーなんて、きっと一生食べられないし、最高の味だし、幸せの味だよ」

 

 

「それに甘いらしいな」

 

 

 

俺が付け加えると、子供は俺の前で両手を合わせた。

 

 

 

「おにーちゃん、それちょうだい? ねっ、ねっ?? 頼むよ。代わりにこれ、あげるから……」

 

 

 

子供の手に握られていたのは。

 

 

紫に輝く石のついた、ネックレスだった。

 

 

俺は勢い良く立ち上がる。

 

 

 

「それ、何処で手に入れた!?」

 

 

 

聞くと、子供は思い出そうとするかのように顔をしかめた。

 

 

 

「うーん、と……あ、拾った。あっちの方で」

 

 

 

子供は嬉しそうに城の向こうの方を指差した。

 

『湖の墓場』だ。

 

俺は思い至る。

 

 

 

「スカイが迷子になった時、これを落としたんだな」

 

 

 

見れば、セピリアが優しく微笑んでいた。

セピリアは自信満々に言った。

  

 

 

「ほらね。甘いものは幸せを呼ぶんだよ」