キ――――――ック!!!

 

 

12.おばけくじらとネックレス

 

 

「えええええ!?」

 

 

 

白兎の第一声である。

 

ぴょーんと高く跳び上がって、セピリアは唯でさえでかい瞳をまん丸くする。

 

 

 

「ええええええええええ!?!?」

 

 

 

また言った。

俺はやれやれと相手を見た。

 

 

 

「だから俺の話をちゃんと聞けッつっただろ」

 

 

 

さすがのセピリアもばつの悪い顔をして頷いた。

 

反省したらしい。

 

 

 

「うーん……そぉだったのか。スーちゃんてばヴィーちゃんが嫌いでネックレスをしなくなったわけじゃなくて、失くしたこと言い出せなかったのか。うーん、まいったねぇ」

 

 

 

俺は城を振り返って尋ねる。

 

 

 

「で、如何すんだ?」

 

 

「仲直りさせるには、やっぱりネックレスが必要なんだよ、テオ。友達のよしみだからね。ヴィーちゃんとスーちゃんは仲良しの方が『正しい』と僕は思う」

 

 

 

セピリアはきっぱりとそう言った。

 

『正しい』、か。

 

俺は頷いた。

 

 

 

「なら、まずはヴァイオレットのネックレスからだな。おばけくじらのところへ行くぞ」

 

 

「『湖の墓場』だよ」

 

 

 

セピリアが訂正した。

 

 

 

「あっちの方。お城の裏側だよ」

 

 

 

俺達は城の周りに沿って歩き、裏の方へ進んだ。

 

巨大な城に隠れて見えなかったが、裏に回るにつれて、城のすぐ後ろに遺跡の影が現れるのが見えた。

遺跡と言うより廃墟……の方が正しいのかもしれない。

徐々に周りの色が仄暗く、寂しさを増していく。

うち捨てられたような石像や倒れた円柱、崩れた石の道全てに苔や藻が蔓延っていた。

 

隣のセピリアがぶるりと震えて、自分の肩を抱いた。

 

 

 

「此処でスーちゃんは迷子になったんだね……」

 

 

 

何だ、こいつにも恐怖心があるのか、と意外な気持ちでセピリアを横目で見遣った。

 

 

 

「怖いのか?」

 

 

 

聞けば、セピリアはあっさりと笑った。

 

 

 

「此処は寒いんだよ。僕、寒いの嫌なんだ」

 

 

 

寒いから震えていたのか。

言われてみれば、確かに此処の水温は低かった。

 

俺は遥か頭上の水面を見上げた。

青白い光の中に、巨大な塊がぷかぷかと浮いている。

 

 

 

「氷……??」

 

 

 

俺が呟くと、白兎はきょとんと俺を見上げてきた。

 

 

 

「テオったら、何言ってんの? あれはマシュマロ大陸だよ」

 

 

「マシュマロ大陸ぅ!?」

 

 

 

素っ頓狂な声を出すと、セピリアはけらけら笑った。

 

 

 

「『湖の墓場』の上にマシュマロ大陸があるのは当たり前じゃん。ジョーシキだよ? マシュマロ大陸にあるカキゴ―リ山の雪解け水が此処に流れ込んで、此処はこんなに寒くなるの! ……本っ当、キミはなーんも知らないんだね」

 

 

 

何と言うか、セピリアは出来の悪い生徒に教えるような顔で、俺にそう言った。

何だか、自分の常識に自信が持てなくなってきた。

 

 

 

「……だから此処は淡水なのか……」

 

 

 

言えば、セピリアは首を傾げた。

 

 

 

「キミの世界には海があるんでしょう? しょっぱい水」

 

 

 

少し驚いた。

 

 

 

「知ってんのか?」

 

 

「そりゃそうだよ。海は広くて、雄大で、ちっちゃい頃の僕には……っあ! 何でもない!」

 

 

 

セピリアはしまったという顔をして、ぶんぶんと頭を振った。

今まで楽しげに語っていたのに、はぐらかしやがった。

 

訝しく思いながら、セピリアの目を見た。

 

 

 

「小さい頃に、何だよ?? そういやおまえ、こっちの世界に住んでんのか? 何で俺の世界の海を知っている? こんなとこほっつき歩いて……心配する奴いねぇの?」

 

 

「……いない」

 

 

 

セピリアは笑った。

ウサフードが相手の顔を、その表情を隠す。

 

 

 

「僕のことは如何でも良いよ。さあ、ちゃっちゃとヴィーちゃんのネックレス探すよ」

 

 

 

言うが早いか、セピリアは苔むした道を蹴って走り出していた。

まるで俺の視線から逃げたがっているかのようだった。

 

 

 

「何なんだ、あいつ?」

 

 

 

俺は首を捻る。

そう言えば俺は、白兎のことを何も知らない。

 

不意に軍服姿のあの男の言葉がよみがえった。

 

 

 

(白兎を連れて来い)

 

 

 

「……少し問いただす必要がありそうだな……」

 

 

 

セピリアの走っていった方向を見、ひとり呟いた。

まだ、セピリアに言わなければならない情報はたくさんある。

俺が知らなければならない情報も、だ。

 

俺は崩れた石を踏み締めて歩き出した。

 

でもまずは、この面倒な目の前の問題を解決してしまおう。

ネックレスを探すのだ。

 

この問題が片づいた暁には、あの話を聞かない小僧に、否が応でも話を聞いてもらおうではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄暗い遺跡の隙間を抜けながら、俺は前進していた。時折、現れる魚の影にどきりとしつつ、息を潜めて歩く。

がら、と音を立てて崩れる階段から飛び降りて、朽ちた祭壇に着地した。

物陰に身を低めて見回すと、何本もの円柱を支えに、天井がカーブを描いていた。

円柱の隙間から青い湖が広がっているのが見える。

 

さらに目を動かすと、一部の円柱が薙ぎ倒され、湖の向こうへ大きく開けているのに気がついた。

円柱の抉れた形に、ホルダーから手に銃を滑り込ませる。

 

歯型だ。

 

……何て巨大な歯型。

 

 

 

「鯨だっけか……」

 

 

「おばけくじらだよ」

 

 

「どあッ!? いきなり現れんじゃねえよ馬鹿セピリア!」

 

 

 

唐突に背後で訂正するチビに、反射的に相手の額に銃口を突きつけていた。

あと一歩セピリアだと気づくのが遅ければ、迷わず引き金を引いていたところだ。

 

そんなことに気づいてもいないのか、セピリアは銃の存在を無視してにっこりした。

 

 

 

「テオってば、ビビりんだね。向こうにおばけくじらちゃんはいなかったんだよ。あっちにも。だから、こっちにいるね」

 

 

「成程な。……しかし、いるなら声くらい掛けろよ。危ねえだろうが」

 

 

 

ばくばくする心臓を押さえ、俺は相手の額から銃を引いた。

セピリアは何処までも能天気だ。

 

 

 

「危ない、って……別に僕、キミを取って食ったりしないよ??」

 

 

 

俺は祭壇の陰から立ち上がりながら言った。

 

 

 

「だから俺じゃなくて、てめぇの危機管理のことを……あああもういい! 行くぞ!」

 

 

 

説明するのが面倒になって、さっさと歩き出した。

セピリアも俺の後ろをひょこひょことついて来る。

 

擂鉢状の広間を下っていくと、その中央にどでかい山が見えてきた。

青緑色の艶やかな山から時折、気泡が漏れている。

 

明らかに生きているようだ。

 

思わず立ち止まった俺の脇を通過して、何と白兎が平然とその得体の知れない山に近づいていくではないか。

本当にこいつの度胸には恐れ入る。

ずんずんと進む背中に声を掛けるのも憚られ、慌てて相手の後を追った。

 

 

 

「寝てるよ」

 

 

 

セピリアが鯨の前で止まって、俺を振り返った。

俺もセピリアの隣に立って、青緑色の山、もといおばけくじらを見上げた。

 

 

 

「でかいな」

 

 

 

改めてその大きさに絶句する。

この鯨の前に立つと、まるで豆粒にでもなった気分だった。

こんなのに飲み込まれたら、ひと堪りもないだろう。

 

 

 

「ってオイ、何してんだよ!」

 

 

 

俺が鯨を眺めている間に、セピリアが鯨の鼻先を撫でていた。

セピリアはふにゃと笑う。

 

 

 

「えへへ、実はおばけくじらに会ったの初めてなんだ、僕」

 

 

 

誰かこいつに危機管理とやらを教えてくれ。

俺がこめかみを押さえるのと、おばけくじらの巨大な瞳が開くのはほぼ同時だった。

漆黒のまん丸い目にセピリアが映り込んでいる。

 

セピリアが「あー!」と言った。

 

 

 

「こんにちは! 起しちゃってごめんね?」

 

 

 

セピリアの笑顔に、おばけくじらは面食らったように目を白黒させている。

 

そして、身体を微かに反らした。

 

 

 

ぶ、ぶ、ぶわっくしょ―――――いッッッ!!!

 

 

 

まるで雷のような音と共に水が逆巻いた。

 

見れば、セピリアが「うひゃあーっ!?」と声をあげて、向こうの方まで素っ飛ばされている。

おばけくじらがくしゃみをしたのだと理解するのに数秒かかった。

 

如何やら、セピリアの手が鼻に触れてくすぐったかったらしい。

 

物凄い水圧に飛ばされそうな帽子を押さえて、俺はその場で溜め息をついた。

 

 

 

「ほら見ろ。言わんこっちゃない」

 

 

 

おばけくじらがずずずと鼻をすするなか、セピリアがよろよろとこちらに戻ってきた。

ウサ耳フードが皺くちゃだ。

 

 

 

「ふ、ふう……僕ってばフライングラビット……空でなく水中を飛んだ兎は、僕が初めてだよ、ふう」

 

 

「何わけわからんこと言ってんだ。頭でも打ったのか?」

 

 

 

呆れると、セピリアはぶんぶんと頭を振ってから、定まらなかった目線をおばけくじらに合わせた。

 

 

 

「ねーねー、おばけくじらちゃん。僕の友達のヴィーちゃん、キミにネックレスを食べられちゃったらしいんだけれども。返してほしいんだ」

 

 

 

セピリアの言葉がわかっているのか否か、おばけくじらはつぶらな瞳をぱちくりするだけだ。

 

 

 

「ホ~~~~エ~~~~~~~?」

 

 

 

まるで笛の音のような鳴き声が、水を振動させる。

見た目よりも、こいつは大人しい生き物のようだ。

 

俺はセピリアを見た。

 

 

 

「全然伝わってねえみたいだが?」

 

 

 

白兎はぷーと頬を膨らませた。

 

 

 

「ねー、お願いだよ。ヴィーちゃんが泣いてたの。だから、意地悪しないで返してよう」

 

 

「ホ~~~~エ~~~~~~~?」

 

 

 

やっぱりおばけくじらは唯、不思議そうにセピリアを見るだけだった。

 

 

 

「うー……」

 

 

 

セピリアは悩ましげに唸った後、ぽんと手を打った。

 

 

 

「あ、そうだ」

 

 

 

嫌な予感がした。

 

 

 

「セピリア、一体何を思いついたんだ??」

 

 

 

この前のコーカス・レースの件を思い出し、俺は身構える。

 

まさかあの緑色の豚ではあるまいに、口に飛び込むなんて無茶はしないよな?

 

そんな心配を余所に、セピリアはぴょーんぴょ―んと準備体操をした後、とことことおばけくじらの脇まで歩いて、言った。

 

 

 

「吐き出させる!」

 

 

 

にっとセピリアは素晴らしい笑顔を浮かべた。

 

しばしの沈黙。

 

 

 

「……は??」

 

 

「ホ~~~~エ~~~~~~~?」

 

 

 

俺とおばけくじらを無視して、白兎は物凄いスピードで助走をつけた後、おばけくじらの脇腹目掛けて突っ込んでいった。

 

こう叫びながら。

 

 

 

 

兎キ―――――――――ック!!!