処へ行くの

  哀れな迷子さん(ワンダーアリス)

 

 

10.白兎を探して

 

 

気がつくと、俺は木製の扉の前に立っていた。

 

 

 

「あ?」

 

 

 

何となく見覚えがある。

 

振り返って確認してみると、思い描いた通りの場所に紅色(ワイン・レッド)のソファとアンティークテーブルとバーを模したカウンターと其処に行儀悪く座る赤猫が見えた。

考えなくても、其処がグレイの部屋だとわかる。

腕時計を見ると、一分たりとも進んではいなかった。

 

驚愕した。

 

 

 

「ああ!?」

 

 

 

動揺し、きょろきょろと辺りを見回していると、グレイが怠そうに言った。

 

 

 

「あーあー煩いヨ、テオドア君。こちとら疲れてんダ」

 

 

「グレイ!?」

 

 

 

目を瞬くと、グレイは立ち上がりながら俺を見た。

 

 

 

「何驚いてんだイ。言っただろウ? 『歪時廊』は時の狂った場所だ、ト。オレ達が向こうで過ごした時間というのは、こちらでは一分にも満たなかったというわけサ」

 

 

 

グレイの説明を聞くうち、俺は落ち着きを取り戻していた。

 

俺の表情を見たグレイは訝しげな顔をした。

 

 

 

「如何した、テオ? やけに安心してるようじゃないか」

 

 

 

俺は帽子を押さえて応じた。

 

 

 

「否……おまえの話を聞いて、あのレース会場やら何やらが俺の夢妄想でないとわかったから。一瞬、自分の頭を疑ったくらいだ。確かにそうだよな、未だ左腕は痛ぇし。靴の裏に草がこびりついているし」

 

 

 

グレイはソファにダイブしながら言った。

 

 

 

「数日前、……否、数秒前カ。数秒前に言っただろウ、アンタの頭は正常ダ。安心しナ。時間は進んじゃいないが、確かにオレ達は『歪時廊』に飲まれタ。なかなか面白い経験だったヨ。疲れたけどネ」

 

 

 

ソファに仰向けに転がって腕を枕にするグレイに尋ねた。

 

 

 

「セピリアは?」

 

 

 

グレイはうーんと唸った。

 

 

 

「何処か別の場所に飛んだんじゃないカ? あの子はこちら側の人じゃないんだロ?? 何だイ、あれだけ戻りたがっていた癖に、我らが白兎君がいなくて寂しくなったかイ」

 

 

「まさか」

 

 

 

俺は嘯く。

清々したのは本当だった。

見知った世界にこうして立っていることに安心していた。

それなのに、何故か物足りない。

 

白兎のいない世界は、何だかとても静かだった。

 

俺はまた聞く。

 

 

 

「こっちに戻ってくる時、何か聴いたか?」

 

 

 

グレイは右目を開けて、きょとんとした。

 

 

 

「何かっテ??」

 

 

 

聞き返された俺は、目を泳がす。

 

 

 

「声、とか」

 

 

「いいや、何モ」

 

 

 

グレイの答えに息をついた。

 

 

 

「……そうか」

 

 

 

では、俺が聴いた赤ん坊の声は何だったのだろうか。

俺は宙を睨む。

 

白い世界。

 

見えない相手の声。

 

 

それこそ夢に違いない。

 

 

心に引っ掛かったそれを忘れるように、ぶんぶんと頭を振った。

 

 

 

「テオドア君」

 

 

 

声を掛けられそちらを見れば、今にも眠り込みそうに目を閉じたグレイがいた。

グレイは言う。

 

 

 

「『歪時廊』に飲み込まれて、オレがアンタをこの街に呼びつけた用件を話しそびれてしまっていたネ。時間が経ってしまったので……おっと、そう言えばこちらの時間は経ってないんだっタ。まあ良いヤ。オレの要件、端的に言うヨ」

 

 

 

グレイが俺に何かを投げて寄越した。

 

青みがかったボディに綺麗な紋章の彫り込みが為された……銃だった。

 

 

 

「うおッ!? あっぶねえ! おいコラ安全装置外したまま銃を投げてんじゃねえぞ! このド素人が!」

 

 

「ウ・ル・サ・イ。アンタは黙ってオレの話を聞いてりゃ良いんダ、テオドア・デュ・ヴィンテ―ジ」

 

 

 

まるで俺の言葉など聞かず、グレイはそうあしらう。

この野郎、俺を殺す気か。

何とか無事に銃をキャッチしたから良いものの。

 

安全装置を掛けながらグレイを睨み銃を握ったところで、思わず目を丸くした。

 

 

 

「この銃、師匠(せんせい)のじゃねえかよ」

 

 

「その通リ。アンタの師匠の忘れ形見だヨ。大切にしナ」

 

 

 

ごろりと向こうを向いて、グレイはひらひらと片手を振った。

 

忘れもしない感覚。

この銃を握った感触。

 

何度か確かめるように銃を握って、グレイの背中を見た。

 

 

 

「如何して……」

 

 

「時期が来たらアンタに渡すよう頼まれてた。本当はもっと早くに……アンタの師匠が死んだ直後に渡すべきだったんだが……。悪かったな。如何してもアンタがこの銃を復讐に使っちまうような気がして、………オレの判断ミスだ」

 

 

 

酷く静かな声でグレイはそう言った。

向こうを向いているので、その表情は窺い知れない。

俺は黙ってグレイの背中を見つめた。

 

師匠(せんせい)は死んだ。

 

だから俺は、師匠に教わったこの技を間違った方向に使った。

 

後悔はしていないけれど、師匠はこんなこと望んではいなかっただろう。

 

俺は罪人として、この国から逃げ回っている。

 

自分の銃をアンティークテーブルに置いて、青い銃をホルダーに収めた。

ゆっくりと口を開く。

言いたいことはたくさんあったはずなのに、突いて出た言葉は至って単純なものだった。

 

 

 

「グレイ、てめぇの判断は間違っちゃいない。……感謝する」

 

 

 

グレイがしばらく沈黙していたので眠ってしまったのかと思ったが、その予想は外れ、やがて声がした。

しみじみとグレイは言った。

 

 

 

「この国で何かが動き出しているのとアンタが『歪時廊』に飲み込まれたのと、……これも運命かねェ……奇妙な巡り合わせだヨ、実に」

 

 

 

扉に手を掛け振り返ると、グレイはまた手を振った。

 

 

 

「オレの用件は以上ダ。外に出るなら気をつけナ。アンタはきっと、この国を出た方が良イ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

酒場を出た瞬間、こめかみに短銃を押しつけられた。

 

俺は溜め息をついて呟く。

 

 

 

「……そういやグレイが気をつけろとか言ってたな……」

 

 

「動くな」

 

 

 

俺に銃を突きつけた人間が低い声でそう言った。

横目でそちらを見ると、煌びやかな軍服とかち合った。

思わず舌打ちしそうになる。

 

リアクトの兵士だ。

 

とっさに黒いコートを引いて、ホルダーの銃を隠した。

 

 

 

「動くなと言っている」

 

 

 

相手が俺のこめかみを銃で小突きながらまた言った。

俺の見ている前で、ぞろぞろと軍服姿の人間達が裏路地に入ってきた。

 

待ち伏せされていたのだろうか。

 

……否、こちらの世界でそんな時間的余裕はなかったはずだから、恐らくこの街に入った時からつけられていたのだろう。

迂闊だった。

 

兵士を何人も引き連れた男が、俺の前で足を止めて両手を広げた。

 

 

 

「これはこれは、テオドア・デュ・ヴィンテージ君ではないか。貴様がのこのことこの街に戻ってくるとは、驚きの一言だよ」

 

 

 

その様子は長年会っていない旧友にするそれに近かったが、この場合、皮肉として受け取っておくのが正解だ。

俺は動かずに笑った。

 

 

 

「よぉ、レッド上等兵。随分な歓迎じゃねえか。この街はいつからこんな物騒になったんだ??」

 

 

「隊長だ。貴様のような罪人が野良犬の如くうろつくようになってからだよ、銃使い」

 

 

 

レッド上等兵……じゃない、隊長は歯を剥き出してそう答えた。

まさか昇格しているとは……世の中とは恐ろしい。

 

平然としている俺が気に食わなかったのか、レッド隊長は顎で裏路地を示して言った。

 

 

 

「連れて行け!」

 

 

 

両脇の兵士に引っ立てられ、歩き出す。

抵抗しない方が良いだろうと思った。

此処で暴れれば、グレイに迷惑がかかる。

 

大通りに出て見慣れた噴水広場を横切ると、兵隊達を見た一般人はこそこそひそひそと騒めいた。

顔を上げれば巨大な影。

最近入ったそれは別物だったけれど、外観は全くの瓜二つだった。

 

城(フォグホーン)だ。

 

 

 

「やっぱ、此処はこうでなくっちゃなあ……」

 

 

 

俺は、わらわらと現われてはこちらを見て大騒ぎする兵士達を眺め、独り言を漏らした。

 

 

 

「何をぶつぶつ言っている! 早く入れ!」

 

 

 

兵士に背中を押され、城門をくぐった。

入ると現実と疑似との違いがはっきりとわかった。

赤い絨毯の敷かれた階段とホールは同じだが、此処に甲冑は存在しない。

何故なら其処に立つのは生きた警備の兵士だからだ。

 

階段を上り、レッド隊長が早足で扉を抜けた。

 

 

 

「罪人テオドア・デュ・ヴィンテージを引っ捕らえてまいりましたッ!」

 

 

 

引きずられるように半ば無理矢理に扉をくぐると、中にいた人間達が騒めいた。

 

 

 

「蒼穹の銃使いか!?」

 

 

「生きていたのか」

 

 

「まあ、何て恐ろしい」

 

 

 

俺は周りの壇上席に座る人間達を見回す。

嗚呼、数年前と何も変わらない。

 

何ひとつ学ばない、政治権力者達。

 

此処は議会兼裁判をおこなう部屋だ。

この城に『玉座の間』なんて存在しない。

王女もいない。

 

……白兎も、いない。

 

前回、俺は此処で大暴れして逃げ出した。

その所為もあってか、部屋内の警備の数は以前より増えていた。

 

と、背中を蹴られ、数歩前によろめいた。

振り返るとレッド隊長だった。

 

俺は低い声で言う。

 

 

 

「痛ぇな。後で覚えとけ」

 

 

 

強がりにしか見えないのか、相手はふふんと鼻で笑った。

そのまま隊長は、議長席に向かって跪きながら恭しく言った。

 

 

 

 

「如何か、早急に裁きを」