ぼうっとしている時にふいに我に返る、という経験をしたことがあるだろうか。

もう随分とその場に立っているのに、急に自分が立っていると認識し直すあの感覚。

今がまさにそれだ。

 

俺は何事もなかったように、先程と全く同じ場所に立っていた。

噴水がいつものように、華やかに飛沫を上げているのが見える。

 

否、ちょっと待て。

 

俺は固まった。

街並みも、道も、噴水も何も変わっちゃいない。

しかし何故だろう、人っ子ひとりいないではないか。

 

それに……。

 

目の前に広がる光景は、何とも言葉に形容し難いものだった。

何やら、奇妙奇天烈なものが付加されている気がする。

 

薄桃色の空に、黄と紫のボーダー柄の雲が浮かんでいる。

其処ら中、捻じ曲がった硝子の木が伸び放題だ。

中には重力に逆らうように壁から横に向かって生えている奴も数本あった。

そして、どの枝にも幼い子供が跳び上がって喜びそうな菓子が、果実の如くぶら下がっていた。

 

嘘だろ、オイ。

 

湧いてくる頭痛にこめかみを押さえた俺の鼻先を、とどめと言わんばかりに熊のぬいぐるみが浮遊していくのが見えた。

 

 

「……一体、如何しちまったんだ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……で、今に至る。

 

駄目だテオドア。

どんなに考えても、こんな罰ゲームのような仕打ちの意味がわからないぞ。

敢えて言うならばもう、これしかないだろう。

 

 

「こいつか? こいつの所為なのか??」

 

 

俺は手の中の歯車に目線を落とした。

歯車は素知らぬ顔で、こちらを見上げている。

 

やはり後者の方が当たっていたのだ。

こいつは何処ぞの馬鹿生徒が落とした魔術道具だったのだろう(誰がこんな悪趣味な発想をするのか、甚だ疑問だが)。

 

そう見当をつけて、魔術解除を試みた。

腐っても、『霧の街(ミスト・タウン)』の元住人だ。

魔術に関しては他人より詳しいとは思う。

俺は歯車を丹念に調べ始めた。

 

が、またしても俺の希望は砕け散る。

 

 

「くっそ……結局三十分以上も無駄にしただけかよ!」

 

 

息も荒く、近くの木に八つ当たりをした。

どんなに弄ってみても、歯車という物質はやはり歯車だ。

それ以上でも以下でもないことを、思い知らされただけだった。

 

先程『三十分以上』と称したが、それは俺の体内時計であって、実際にはどれくらい経ったのか知るところではない。

俺の腕時計は壊れてしまったのか、ぴくりとも動かなかったのだ。

 

苛立ちが治まらず、遂に歯車を石畳に叩きつけてやろうと、握った手を振り上げた。

 

もし俺が広場の方を向いていなければ、もし歯車が夕暮れにも近い弱々しい太陽光を広場の方へ反射していなければ、恐らく歯車は無残な最期を遂げていたに違いない。

 

目の隅に動くものがちらついたので、そのままの格好で目だけを動かした。

 

 

そして見た。

 

 

風に揺れる菓子でも、飛び散る噴水でもない。

 

弱々しい反射光の中、噴水を横切っていく人影を。

 

 

歯車は命拾いをした。

俺の興味は既に、その人影へ向いていたのだ。

 

 

 

「おい、おまえ! ちょっと……」

 

 

 

運命とは斯くも無情なもので、俺とその白い人影との間には距離が在り過ぎた。

声が届かなかったのか、相手は俺から見て左の通路から広場を通り抜け、右の通路へちょこまかと動いていく。

 

思わず歯車をコートのポケットに突っ込んで、走り出していた。

 

選択の余地はなかった。

 

恐らくこれ以上、最悪な目に遭うことはないだろう。

今がもう最悪なのだ。

得体の知れない相手だろうが何だろうが、いないよりはましである。

 

上手くいけば、このヘンテコ極まりない世界から抜け出す方法がわかるかもしれない。

 

その思いだけが俺の足を突き動かしていた。

 

街角に消えるそいつを、何の迷いもなく追いかける。

 

 

思えばそれは、必然だったのだろうか。