「……何だか変な感じだな」

 

 

 

灰色髪の男が絶妙に微妙な顔で呟いた。

彼の前にはぐつぐつと白い湯気を上げて煮立つ鍋。

その周りには普段目にすることのない御馳走が並んでいる。

 

彼の向かい側に座る赤縁眼鏡の男は、にこにこと言った。

 

 

 

「今年の年越しは、随分と豪勢になりましたねぇ」

 

 

 

早速目の前の鍋から野菜を取り分け始める相手に、イーヴィルはジト目をする。

 

 

 

「何を呑気な……良かったのかよ麻桐、年末年始に会社閉めて?」

 

 

 

麻桐と呼ばれた男は、呆れ顔と共に首を振った。

 

 

 

「通常、何処の企業も年末年始には休業するものなんですよイーヴィル。僕らの業界がおかしいだけであって、世間一般的にこれが普通なんです」

 

 

「あのな」

 

 

 

イーヴィルは気怠そうに煙草を咥えながら言う。

 

 

 

「そもそもあの仕事、まだ終わってねぇだろが。後回しにして面倒を被るのは俺なんだぜ? ……こんなことなら、年末までにさっさとあのファミリー潰しておけば良かった」

 

 

「イーヴィル、此処は禁煙です。吸うなら外でどうぞ」

 

 

 

明るいセーターの長袖から微かに覗く指先で追い払うような仕草をする上司に、男は常々思っていたことを口にした。

 

 

 

「大体いつも思っていたが、何でてめぇん家、灰皿ねェんだよ。俺も一応此処に住んでんだぞ」

 

 

 

訝しげに眉根を寄せる彼に、麻桐は即答した。

 

 

 

「何故なら、僕の家だからです。床に灰を落としたら殺しますからね」

 

 

 

因みに相手は笑顔である。

が、俄かに顔を引き攣らせ、イーヴィルは早々に口元から煙草を取っ払った。

 

 

 

「怖ぇよ、笑顔で何恐ろしいこと言ってんだ、この鬼畜ドS上司」

 

 

 

冷や汗を流しながら文句を言う部下はさて置き、居間に直接繋がるキッチンから明るい声が飛んできた。

 

 

 

「おふたりとも〜! 追加のお料理が出来ましたよ〜!」

 

 

 

何とも平穏な、気の抜けるような声に、上司部下共に顔を見合わせた後、不穏な言葉を吐き出す口を閉じた。

 

蒸し器を抱えてとことことテーブルに歩いてきたのは、小柄な少女である。

ことんとそれをテーブルに下ろした彼女は、ふたりの男の表情にきょとんとした。

 

 

 

「ん? 何かお話し中でした?」

 

 

「別に」

 

 

 

ふいとテレビの方へ顔を背け、灰色髪の男は言った。

やはり彼の表情にはありありと、この奇妙な状況が理解できないと書いてある。

 

それに構うことなく、緑髪の男は飄々と嘯いた。

 

 

 

「今年のカウントダウンも派手になりそうだな〜と思いまして。香港の花火は毎年見ても壮観ですからね。ねぇ、イーヴィル」

 

 

 

話を振られた男は、相手に向かって眉根を寄せて見せる。

 

一方、少女はぽんと手を打ち、嬉しそうにテレビを示した。

 

 

 

「ああ、有名ですよね、あれ! 話にしか聞いたことがなかったので、こうして此処でカウントダウンを見ることができるなんて、わくわくします!」

 

 

 

目を輝かせる少女を見遣り、イーヴィルは空いている席へ彼女を促しながら尋ねた。

 

 

 

「何だよ、見たことねぇのか、あれ」

 

 

 

彼らが両隣になるような其処へ腰掛ける彼女は、大きな薄青い瞳を男に向けた。

 

 

 

「はい、年末年始はいつも何かしら忙しくて……考えてみれば、こうして落ち着いて年を越すということがありませんでしたね」

 

 

「何つうか……不憫なこったな」

 

 

 

俄かにその状況を正しく理解したか、イーヴィルはやれやれと首を振り、そう言った。

 

確かに、彼女の周りというのは些か奇妙奇天烈な人間が多過ぎた。

その一部を知る彼にとって、彼女の年末が如何様に過ごされてきたか想像するに易い。

 

ラビエールは上機嫌にふたりの男を眺めた。

 

 

 

「なので、こうしてお家に招いてくださって、本当に嬉しいんです! ありがとうございます!」

 

 

 

ぺこんと頭を下げる少女に、彼らはほんのりと目元を優しくする。

 

紅い隻眼を瞬かせ、彼は言った。

 

 

 

「無人の会社に子供独り放っとくわけにもいかねェだろ」

 

 

 

ラビエールはきょとんと目を丸くし、小首を傾げた。

 

 

 

「如何してですか?」

 

 

「如何してって、おまえ……」

 

 

 

彼女の不思議そうな問いに、彼は困惑と共に上司を見遣る。

如何やらこの少女、独りで閉じ込められることに対し、然程の疑問も抱いていないようだった。

 

そんな遣り取りを眺める麻桐は、やはり表情も変えずにこにこと言うのだ。

 

 

 

「年末年始は建物を施錠してしまいますし、貴女も何かと不便だと思いましてね。折角なので、こうして人の家で過ごしてみるのは如何かと思った次第です」

 

 

 

ふむふむと目を輝かせて納得したように頷く少女に、イーヴィルは肩を竦めた。

 

 

 

「ま、面突き合わせるのが俺と麻桐じゃ、会社と何ひとつ変わり映えしないがな」

 

 

 

彼の言葉に、少女はしげしげとふたりを眺めて言った。

 

 

 

「でもでも、おふたりの普段着は初めて見ましたよう」

 

 

 

今気づいたと言わんばかりに目を丸くし、彼らは互いに顔を見合わせた。

 

首元の開いたモノトーンのニットを見下ろし、イーヴィルは呟く。

 

 

 

「た……確かに、この一年ほぼスーツだったな」

 

 

「イーヴィルはお仕事が好きですからねぇ♡」

 

 

「てめぇが何から何まで俺に全部押しつけるからだ、阿呆。誰が好き好んで年がら年中スーツ着るかよ、労働者の権利を寄越せ」

 

 

 

むすりとむくれる男に麻桐はしれっと応じた。

 

 

 

「だから、あげてるじゃないですか今。暖かい家でカウントダウンを待ちながら、年越し料理を食べる。人としてこれ以上の権利がありますか?」

 

 

 

ふと目線を上げ、イーヴィルはしげしげとテーブル上の料理を眺め、感心を滲ませて言った。

 

 

 

「しかし……よく作ったな、これ。此処まで年越し料理が揃ったのはいつ振りか」

 

 

 

彼の言葉通り、テーブルの上の料理は刻々と増えている。

先程から湯気を立てている鍋に投入された大振りの蟹は、そろそろ赤い顔を覗かせているし、その傍らには蒸した牡蠣に飴色の煮豚。

少女が蒸し器の蓋を開ければ、ほわりと白い煙と共に柔らかな中華饅が姿を現した。

 

少女は満足げにひとつ頷き、取り皿を手ににっこりした。

 

 

 

「お料理を調べるのが楽しくて、つい作り過ぎてしまいました。いっぱい食べてくださいね!」

 

 

 

麻桐は両手を合わせ、にっこりする。

 

 

 

「まともな年越し料理を見たのは、確か会社に泊まり込んだ際に、夢憑ムツキが作ってくれた餃子くらいなものでしょうか」

 

 

「……何年前の話だよ、それ」

 

 

 

呆れ顔で大根餅に手を伸ばす部下に、緑髪の男は依然口元に笑みを湛えたまま続けた。

もっとも、笑みと言っても意地の悪いそれに変わっていたが。

 

 

 

「だって貴方の料理、雑ですから……料理と呼べるのかも定かではない物体を目にしたのは一度や二度じゃありませんよ。まあ男ふたりとなれば、正月も侘しくなるものですが」

 

 

「俺は使用人じゃねぇんだ、家事を期待すんな」

 

 

 

若干疲れた顔で返す男の前を、ひょいと箸が通過していく。

 

 

 

「働かざる者、食うべからず、という奴ですねイーヴィル」

 

 

「あッてめ、勝手に他人の皿から取ってくんじゃねえ! いつの間に取ってってんだ、子供(ガキ)か! 向こうにいっぱいあんだろうが、師走に入ってからあれだけ働かせといて……!」

 

 

「あはは」

 

 

 

料理に箸を伸ばす者とそれを取られまいとする者の熾烈な攻防を眺め、少女は金髪を揺らして朗らかに笑った。

 

結局部下の抵抗も虚しく、ほくほくと湯気を上げる出来立ての中華饅を頬張りながら、彼の上司はにっこりした。

 

 

 

「兎にも角にも、こうして五体満足、平穏無事に年末を迎えることができたのですから、それに感謝しつつ慰労の意味を込めて、今夜くらいはゆっくり過ごしましょう」

 

 

 

ぐぐぐと歯噛みする部下の男を哀れんだか、少女はそそくさと料理を取り分けた皿をそちらへ一生懸命差し出している。

苦労性な彼は、年末だろうが年始だろうが年中無休で上司からこのように扱われているらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

刻々と分針が円周を駆けていく。

 

風呂上がりで湿った髪をおざなりに拭きながら、ふと彼が見遣る先のソファには、もこもこした物体がいる。

上司が見繕ったのだろうか、羊を彷彿とさせるパステルカラーの部屋着に包まって、金髪の少女がテレビの前の特等席にちんまりと腰掛けているのだった。

 

とはいえ……膝を抱えて冬眠中の眠り鼠ヤマネのように丸くなるその姿は、明らかに彼女の当初の目的に反するものなのだろうが。

 

 

 

「……」

 

 

 

湿って色濃くなった灰色髪を払い、彼はソファで寝こけている少女に音もなく近づいた。

ソファの側を通れば、点けっ放しのテレビから流れる年の瀬の音に紛れて、すうすうという規則的な呼吸音が聞こえた。

 

思えば彼女は、健全で健康な優良児であるのだから、日付の変わるこの時間まで起きているというのは些か難しいようだった。

 

活動限界を超えた少女の姿を見下ろし、イーヴィルはしばし頭を悩ませた。

カウントダウンのイベント中継をわくわくと待っていた彼女と、現在幸せそうに睡眠を貪る彼女と、どちらを優先すべきなのだろうか。

彼は今、その優先順位を推し量っているようだった。

 

が、それも束の間、彼はひとつ溜め息をつくと、そのまま勢いよく彼女の隣の空間に腰掛けた。

 

彼の身体がソファに沈んだ勢いは、力量保存の法則に従って変換され、小柄な彼女の身体を数センチ空中へ浮き上がらせた。

 

 

 

「みゃッ!?!?」

 

 

 

可笑しな声を上げてぼふっとソファに舞い戻った少女は、一体何が起こったのか理解できないようにきょときょとと辺りを見回した。

 

目を白黒させる少女の隣で、平然と髪を拭きながら男は言う。

 

 

 

「もうすぐ年が明けるぞ。カウントダウン、見たいんじゃなかったのか」

 

 

「はっ! そっ、そうでした!」

 

 

 

自分が寝こけていたことに気づいたか、ラビエールは慌てたようにテレビの方を見遣った。

 

表示されている時刻にほっと胸を撫で下ろす少女は、隣の男にふにゃりと笑いかけた。

 

 

 

「あっという間の一年でしたねぇ」

 

 

 

相手につられたか、男もまた表情を緩めた。

 

 

 

「確かにな。忙し過ぎて、この一年を振り返る余裕もなかった」

 

 

「今年も一年、お世話になりました」

 

 

 

ぺこんと下げる彼女の頭をぽんと撫で、彼は肩を竦めた。

 

 

 

「こちらこそ」

 

 

 

少女はがばと身を起こすと、勢い込んで言った。

 

 

 

「来年は私がお世話しますっ!」

 

 

「否、それはそれで如何なんだ……」

 

 

 

少女にお世話される光景を想像し、マフィアの男は何とも困惑したような表情を浮かべた。

 

彼は、小柄な少女の薄青い瞳を覗き込んで応じる。

 

 

 

「十年早えッつうの」

 

 

 

言葉と裏腹に、男は面白がるようにほんのりと笑んでいた。

 

 

 

「んむ? 十年経ったらお世話しても良いんですか」

 

 

 

小首を傾げ、少女はきょとんと男を見上げた。

 

 

 

「おいおい、十年も傍に居るつもりかよ。きっと俺達のこと、嫌になるぜ?」

 

 

「そんなことありません! ……あっ、でも私の方が居候ですし、ご迷惑をかけてしまうかもしれませんが……」

 

 

 

あわあわとした後、彼女は窺うように男の顔を見、ぽつりと言った。

 

 

 

 

「一緒に居ちゃ、駄目ですか?」

 

 

 

 

少々驚いたか、男の紅い隻眼が見開かれた。

 

向かい合ったまま、彼らはしばし互いに見つめ合う。

 

引き寄せられるように、彼は無言で隣に腰掛ける小柄な少女に近づいた。

彼の手がさらりとした金髪を撫で、続いて頬へと降りていく。

ひとつふたつと瞬きする少女の長い睫毛の奥で、薄青い瞳が男の影を映した。

 

近い。

 

 

 

「……絶対、後悔する」

 

 

 

男が囁けば、その吐息がふわりと少女の前髪を揺らした。

そう言いつつも、その手は当たり前のように少女の柔い唇をなぞり、その場に縫い止める。

 

またひとつ、少女が不思議そうに瞬きし、目を閉じる男を凝視した。

が、逃げるわけでもなく為すがまま其処に留まる彼女は、男の言葉がよくわからないようだった。

 

触れそうなほど近づいたところで、テレビから歓声が湧き出した。

 

その音に驚いたか、彼らはぱっと身を離した。

テレビを注視する男が言った。

 

 

 

「……嗚呼、年明けちまったな」

 

 

 

見遣る先、画面の中で派手な光を撒き散らして、花火が幾つも幾つも空へ打ち上がっていった。

 

呆けたのも束の間、破裂音と舞い散る虹に少女は目を輝かせた。

 

 

 

「わあ! こんなに花火が打ち上がっているなんて凄いです! とってもとっても綺麗です〜!」

 

 

 

闇に沈むビル群の真上を彩る巨大な光の花達は、止むことなく次々と夜空一面に開いていく。

それは、いつもの都市を知る彼らにとっては、非日常の光だった。

 

くるんと少女が男の方に顔を向けた。

きょとんとする男の前で、彼女は顔いっぱいに笑みを咲かせて言った。

 

 

 

「イーヴィルさん、明けましておめでとうございます! 本年もよろしくお願いしますっ!」

 

 

 

男は目を丸くしてしばしテレビ画面を彩るそれ以上に明るい相手の笑顔を見つめていたが、やがて微笑むと言った。

 

 

 

「ああ」

 

 

 

テレビから漏れるその光が照らす少女の横顔を一瞥した後、彼も彼女に倣って年の初めを彩るそれを眺めた。

 

ソファに並ぶふたつの影がそのまま夢の世界へ旅立ち、新年早々彼らの上司に叩き起こされるのは、また別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

年の瀬の過ごし方

 

(先程とても良い初夢を見ました! 楽しくて、わくわくするような夢を!)

(それ、初夢じゃなくて夢納じゃね?)

(えっ)

(ラビエール、昨日は大晦日なので、昨晩見たのは年の一番最後の夢ということになります。つまりは、元旦の日の夜に見る夢が初夢ですね)

(えっ、ええ〜っ!? そ、そんなぁ……折角、麻桐さんとイーヴィルさんと一緒にお出掛けする夢を見たのに……)

 

(……)

(……)

 

((何だこの可愛い生き物……))

 

(では、折角ですからその夢を正夢に変えましょうか。年始の街を散策するのも悪くないでしょう)

(えっ)

(何ぼけっとしてんだ。行くぞ)

(えっあの、ちょ……えぇ!?)